小正月とは?
旧暦の小正月は正月15日を中心とする行事です。当然のことながら、満月にあたりますので、月明かりを前提にしています。江戸時代、大正月は都市で盛んであり、小正月はおもに農漁村でくりひろげられました(第23回参照)。そのため都市化が進むとともに小正月は忘れられ、とりわけ高度成長の時期に、ほとんど息の根を止められました。
小正月の来訪神
とはいえ、痕跡は残っています。秋田の「なまはげ」はそのひとつです。いまでは大晦日の晩にやってきて、「親の言うことを聞かない子はいないか」と子どもたちに問いかけ、恐がられている存在です。本来は月明かりのもと、異界からやってくる異形のカミでした。民俗学では「小正月の来訪神」として一括されますが、全国に似たような行事が分布しています。たとえば、鹿児島県甑島の「としどん」がそれで、シュロの皮で面がつくられ、こわい形相をしています。「なまはげ」や「としどん」にはお酒やご馳走を供し、手厚くもてなしたうえで、送り出します。「小正月の来訪神」は家々をまわって子どもたちをしつけ、新年をことほぎます。
豊作と多産を願う小正月
民俗学でいう予祝(よしゅく)がおこなわれるのも小正月です。予祝とはあらかじめ祝うこと、すなわち米の豊作や繭(まゆ)の多産を年頭に祈願し、福を呼び込むのです。たとえば、田植えや稲刈りを模擬的に演じる行事があります。東京都でのこっているのは板橋の「田遊び」です。そこでは性のいとなみによって稲の生命が誕生し生長するさまが象徴的に演じられます。たほう、養蚕農家では繭玉とよばれるつくりものが枝に取り付けられます。それは餅でつくられ、蚕が多くの繭をつくるよう、うながします。
神様への捧げもの
「嫁叩き棒」という物騒なつくりものが登場するのも小正月です。これは前年に結婚した新妻のお尻を叩く棒です。棒はペニスの象徴でもあり、はやく子供が生まれることを祈願するのです。その棒には「削りかけ」とよばれる装飾が付けられます。木の皮を途中まで削ったまま残しておくのです。「削りかけ」は花に見立てられることもあり、冬場に文字どおり花を添えているのです。アイヌのイナウとよばれる神聖なつくりものも削りかけの手法でつくられます。それはカミ(アイヌ語のカムイ)でもあり、カミへの贈り物でもあります。内地の山村に伝承される削りかけはアイヌ文化ともつながっているのです。
粥で占う年占
小正月はこのように豊作や多産を祝う行事でいろどられていました。また、年占(としうら)といって年の占いをすることもありました。粥につくりものの木の箸を突っ込み、引き出して、そこに付着する粒の数で作柄や天候の吉凶を占ったものです。小正月には小豆粥など粥を食べる習慣がひろく全国でみられました。
現在の小正月
戦後、1月15日は「成人の日」と定められ、国民の祝日となりました。市町村では成人式を祝うのがならわしとなりましたが、旧暦でいえば、ほんらい小正月の豊穣祈願の日だったのです。2000年からはハッピーマンデー法にもとづき、成人の日は1月の第2月曜日に変更され、小正月の影はますます薄くなりました。大正月がいよいよ肥大化するのに対し、小正月はどんどん縮小してきました。これが時代の流れなのです。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。