「主体年号」記載なし
2024年12月16日、「北朝鮮のカレンダー 『主体年号』記載なし 来年、金日成氏の影脱却」という見出しの新聞記事が目に飛び込んできました。共同通信の配信にもとづくもので、北朝鮮で発行された3種類の来年のカレンダーから主体年号が消えたというのです。主体年号とは金日成主席が生まれた1912年を元年とし、死後3年目の1997年から金正日主席がはじめた紀年法です(本コラム第149回「檀紀と主体年号」参照)。しかし太陽節(金日成の誕生日、4月15日)と光明星節(金正日の誕生日、2月16日)はそのまま明記されている、と報じられました。
2025年の北朝鮮カレンダー
さっそく伝手(つて)をたどり、実物のカレンダーの取得につとめたところ、ようやく1点の月めくりカレンダーの画像を入手することができました。それは名所の風景写真を季節に合わせたものでした。表紙には海岸の風景、1月には白頭山天池(注1)の冬景色、4月には牡丹峰(注2)の春景色が採用されていました。北朝鮮当局が中国向けに配るもので、朝鮮民主主義人民共和国・外文出版社が発行し、中国語訳が添えられていました。問題は主体年号です。これまで37年間、先に主体年号、そのあとに括弧付きで西暦が付くというスタイルで統一されていましたが、今年からは2025の数字だけになっていました。表紙のプロパガンダの賛辞のほうは同じハングルの文言でしたが、中国語訳のほうが微妙に変わっていました。2023年版では「偉大的金日成同志和金正日同志永遠和我們在一起 敬祝敬愛的金正恩同志身体健康」でしたが、2025年版では「偉大的金日成同志和金正日同志永遠和我們在一起 衷心祝愿敬愛的金正恩同志的平安」となっていたのです。最初の文章は「偉大な金日成同志と金正日同志は永遠にわれらと共にある」という意味です。しかし、二番目の文章の翻訳をみると、敬祝が衷心祝愿となり、身体健康が平安に変更されているではありませんか。敬愛の形容が衷心からのものであり、個人的な身体の健康ではなく平安や安寧を祝すものになっています。ハングルではおなじ表現なのに、中国向けには仰々しく、かつ地位の安泰を含意しているかのようです。




主体年号が消えた日
主体年号が突然無くなったのは2024年10月13日でした。それは国内向けの『労働新聞』(朝鮮労働党の日刊機関紙)の日付から消えただけでなく、書類でも職場でも、あらゆる表示から姿を消したのです。その前日の『労働新聞』には金正恩総書記の妹である金与正氏(朝鮮労働党中央委員会副部長)が「韓国軍部は重大主権侵害挑発の主犯または共犯の責任から免れるのは難しい」との談話が第一面に載っています。13日当日も与正氏は、無謀な挑戦は「大韓民国の悲惨な終焉を早めるだろう」と牽制しています。実際、15日には南北連絡道路と線路が爆破されました。17日の『労働新聞』は「大韓民国を徹底的な敵対国家と規定した共和国憲法の要求」であると報じています。そうした両国の極度の緊張関係のなかで主体年号は使用禁止になったのでした。

前兆と余波
これは「共和国憲法の要求」とあるところから、10月7日、8日の最高人民会議で成立した憲法改正にもとづく措置のようです。金正恩氏はすでに2024年1月15日の施政演説で韓国を「第一の敵対国」「不変の主敵」と規定する憲法改正を指示していました。そして2024年の太陽節ではその名称を「4月名節」としたり、祝賀のパフォーマンスでも単に「4.15」と表示するだけになりました。また5月からは金日成・金正日にならんで金正恩の肖像画が公式に掲げられるようになり、7月には金正恩の襟章バッジが導入されました。今年に入ってからも金正日の光明星節の名称が使用されなくなり、代わりに「2.16」が主流になっているようです。とはいえ、朝鮮中央通信(北朝鮮の国営通信社)はこの日、光明星節が使われたと報じ、金正恩氏ら幹部は金日成・金正日親子の遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿を4年ぶりに参拝しています。ただし、恒例となっていた北朝鮮駐在の外交団を招いた公演などは報じられていません。
以上、友人たちに頼りながら北朝鮮はもとより日・中・韓・米の報道を吟味する限り、主体年号の使用中止は「第一の敵対国」を意識した金正恩体制自体の強化をはかるものであり、相対的に金日成・金正日尊崇への依存度を下げる戦略のように見受けられます。しかしながら、あえて言えば、「劇場国家」というような文化人類学的視点からも深掘りすべき課題かもしれません(注3)。


中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。