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第33回 暦と時計-時間を示す二つのツール

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 暦は暦日を、時計は時刻を示します。日本語の「こよみ」は「日(か)読み」からきたと言われています。いっぽう、時計は時刻を計る道具にほかなりません。暦と時計は見事にその役割を分担しているのです。

 機械時計はカチカチと時を刻みます。振子時計もあれば、ゼンマイ仕掛けもありますが、ヨーロッパ人が日本に持ち込みました。フランシスコ・ザビエルが周防(すおう)の国の領主、大内義隆に献上したものが最初と言われています。ローマ法王訪問使節も豊臣秀吉に自鳴鐘を将来しましたが、現存する最古の機械時計はスペインから徳川家康に贈られたものです。それはいま久能山の東照宮に収蔵されています。

 文献上の最古の時計は日本書紀にみえる水時計です。漏刻(ろうこく)と称していました。それは中国伝来の技法をもちいたもので、水を器に流し込み、その水がたまり、あふれて落ちる際の漏洩量を測定して、時の流れを知るものでした。水時計の時間はヒタヒタと流れていたのです。最初の設置場所は飛鳥にあり、いまは水落遺跡とよばれています。西暦660年のことでした。

 当時は漏刻で時を知り、鐘を叩き太鼓を鳴らして時を知らせました。近江大津宮に遷都した天智天皇(中大兄皇子)が漏刻をみずから製作・設置し、はじめて鐘鼓を打ち鳴らしたのが、天智10年4月25日です。西暦に換算すると671年6月10日となります。そのため、6月10日が時の記念日に制定されました。1920年のことです。

 天智天皇をまつる近江神宮が近江大津宮ゆかりの地に創建されたのは1940年のことです。近江神宮では、6月10日に漏刻祭をいとなんでいます。王朝風の装束をまとった陰陽頭(おんようのかみ)、陰陽介(おんようのすけ)、漏刻博士が采女(うねめ)をしたがえて各社の時計を献納します。また、特設の舞台では雅楽の調べにあわせて舞楽が奉納されます。その場に居合わせると、王朝時代にタイムスリップしたような不思議な感覚におそわれます。参列者には時計メーカーや宝飾店など、時計関連業界の方がたが多数つどいます。近江神宮に本部をおく日本暦学会はもとより、日本カレンダー暦文化振興協会の関係者も参加し、暦と時計に幸多かれと祈願いたします。

 機械時計以前には水時計のほかに日時計や砂時計、あるいは火時計などがありました。近江神宮の境内には天智天皇が製作した漏刻の石製模型(オメガ社)をはじめ、精密な日時計や古代の火(線香)時計のレプリカ(ロレックス社)が設置されています。また、時計館と宝物館という時計関連の資料を多数ならべたミュージアムもそなえています。まさに「時計の聖地」と言っても過言ではないでしょう。

 近江神宮は聖地としてのたたずまいにくわえ、時計工房を経営し、あらゆる時計の修理にこたえています。さらに、神宮付属の近江時計眼鏡宝飾専門学校では時計を中心に眼鏡や宝飾の知識・技術を継承する人材の育成にあたっています。漏刻祭の采女にはびわ湖大津観光大使とともに本専門学校の生徒が奉仕しています。采女の役割りは三宝に載せた献納時計を捧持し、漏刻博士のあとにつき従うことです。また、漏刻祭の儀式や舞楽が終わった後、「時計技能競技全国大会」の優勝者の披露がおこなわれます。これはプロの技能者を表彰するものですが、ここにも時計の技術伝承にかける並々ならぬ意欲を感じとることができます。これも聖地ならではの演出と言えるでしょう。

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中牧弘允

文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。

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