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第34回 フェスタ・ジュニーナ-6月のお祭り騒ぎinブラジル

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 6月はイギリスではジューン・ブライド(6月の花嫁)の月ですが、ブラジルではフェスタ・ジュニーナとよばれる「6月の祭り」の時節です。カトリックの聖人暦でいくつもの盛大な祭りがおこなわれるところから、そうよばれています。とくに聖ジョアン(ヨハネ)の祭り(24日)が中心ですが、縁結びにご利益があるという聖アントニオの祭り(13日)、また聖ペドロの祭り(29日)も傑出しています。

 聖ジョアンの祭りのことはJoanina(ジョアニーナ)とよばれますが、それがJunina(ジュニーナ、6月の)と混同されて、フェスタ・ジュニーナとなったという説があります。つまり、聖ジョアンの祭日がたまたま6月であるところから、二つの起源が想定されているのです。実際、三つの祭りのなかでもとくに聖ジョアンの祭りが盛大に祝われています。

 ブラジルにおける聖人の祭りはヨーロッパのカトリック教会に起源があります。それはサトウキビ農園を経営したポルトガル植民地時代にイエズス会の宣教師によって持ち込まれました。現在でもフェスタ・ジュニーナでは焚火がたかれ、爆竹が鳴り、クアドリーリャとよばれるダンスが踊られます。焚火や爆竹はとりわけ先住民のインディオにうけたようです。

 聖ジョアンは実は聖ジョアン・バティスタのことです。つまりバプテスマのヨハネです。荒野の川で信者に洗礼をほどこし、キリスト(救世主)の到来を予言した聖人です。水にゆかりのある聖人がなぜ火と関係するのでしょうか。答えは、インドを経て中国や日本にまでやってきたイエズス会士にあるようです。つまり、かれらが中国の花火や爆竹をヨーロッパにもたらし、ついでアメリカ大陸にも影響を与えたのです。

 ダンスのほうはヨーロッパ起源です。フランスやポルトガルのダンスがノルデステとよばれる北東部に伝わったからです。北東部の主要都市にはサルヴァドール、レシーフェやナタールがあり、今回のサッカー・ワールドカップの開催地として日本人にもなじみとなりました。そのノルデステでは干ばつが頻繁におこり、人びとを苦しめてきました。しかし、6月の時期は、トウモロコシが収穫期をむかえ、ほかの食料も比較的豊富にあるのです。そのため、フェスタ・ジュニーナは祝祭気分にあふれ、盛大に祝われるということになったのです。

 日本人が100年前に移住したのは南東部のサンパウロ州を中心とするコーヒー農園でした。最初の移民船「笠戸丸」がサントスの港に着いたのが1908年6月18日です。ブラジルではこの日を「移民の日」と定めていますが、祝日ではありません。サンパウロ市の日系人社会ではカトリック教会でミサをおこなったり、仏教連合会が合同法要をいとなんだりしています。先亡者への感謝をささげ、慰霊をおこなう特別な日となっているのです。

 サンパウロなど南東部の地域では教会だけでなく、学校や職場などでもフェスタ・ジュニーナを祝います。とくに学校では子どもたちがカイピーラという田舎者の恰好をしてクアドリーリャを踊ることに特徴があります。麦わら帽子をかぶり、無精ひげやそばかすを描き、穴が開き、つぎはぎだらけの上着やズボンを身にまとい、あるいはぼろぼろにみえるワンピースを着て、男女が一組ずつとなり、輪になって踊ります。もちろんご馳走もふるまわれます。屋台のような出店がでることもあります。

 日本でもブラジル人学校やブラジル人社会ではフェスタ・ジュニーナを祝います。関西ブラジル人コミュニティー(CBK)は神戸の海外移住と文化の交流センター(旧移住センター)でフェスタ・ジュニーナを開催することを恒例としています。そこではブラジル料理もふるまわれます。浜松市西区の外国人学習支援センターでも踊りやゲームを楽しんでいます。

ブラジルではサッカーのワールドカップだけがお祭り騒ぎではないのです。

◯ FIFA公式サイト

◯ 日本ブラジル協会

◯ 関西ブラジル人コミュニティ

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中牧弘允

文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。

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