日本は「一民族一国家」ではありません。先住民族のアイヌが北海道に住んでいるので、「二民族一国家」といえます。しかし、実際には200万人以上の海外から移り住んだ人びととその子孫が暮らしています。人口比でいうと、1.6%ほど、つまり約60人にひとりは海外にルーツをもっているのです。国立民族学博物館では今年3月に「多みんぞくニホン」という常設の展示コーナーがオープンしました。そこでは東アジア、東南アジア、南アジア、西アジアや南米からやってきた人びとの文化を紹介しています。
国立民族学博物館には「アイヌの文化」の展示もあります。こちらは35年の歴史をもち、アイヌの伝統文化の保存と継承に焦点が当てられてきました。秋にはカムイノミという屋内儀礼を伝統家屋(チセ)でおこない、削りかけのイナウをささげ、神々(カムイ)と関係者の交流をかさねてきました。「旧土人法」にかわる「アイヌ新法」の成立に尽力した故萱野茂参議院議員が中心となり、博物館の研究者とともにアイヌの伝統文化の展示がつくられました。
そこにはアイヌの暦の展示はありません。というのも、アイヌ独自の体系的な暦法が存在しないからでしょう。とはいえ、いわゆる「自然暦」とよばれる季節の推移を認識する知的体系はもっていました。たとえば春夏秋冬に対応する言葉があります。浦河地方では春はパィカル、夏はサク、秋はサクケシ、冬はマタといいます。真冬はマタノシキです。太陽チュプ カムイは昼の女神で、月クンネ チュプ カムイは夜の男神です。日食はチュプ カムイ タスムといい、太陽が病気になったと表現しました。美幌では日食や月食はチュプ ライといい、悪い神が太陽や月を呑みこむと表現し、呑みこまれないように鍋をたたいて「エ ライ ナ、ヤイヌパ」(死んでしまうぞ、気をつけろ)と歌って加勢したといいます。旭川では日食をツプ アン コイキ、つまり太陽がいじめられているといい、まな板などを打ちたたいて悪神を追い払おうとしました。
日が長くなる月のことをトエタンネといいます。美幌では3月頃というので、春分を境にしていることがわかります。他方、浦川では12月か1月というから、冬至を基準にしているのでしょうか。トイタ(畑耕し)と関係がある月だともいいます。また、月名を数え上げるときはトエタンネからはじめるそうです。ちなみに、日が短くなるほうはトエタクネといいます。 明治25年(1892年)に村尾元長が出版した『あいぬ風俗略誌』によると、十勝地方のアイヌの12ヶ月(旧暦)は次のようにまとめられています。
これにくわえ、ホルカバ(後戻りの月)=閏月もあったので、太陰太陽暦(旧暦)に学んだ暦であったことがわかります。
8月9日は世界の先住民の国際デーです。国連で1982年8月9日に、先住民に関する作業部会が開催された日を記念して、1994年12月に制定されました。人権、環境、教育、保健などの分野で先住民族が直面する問題への国際的な対応を強化することを目的としています。世界には約3億7000万人の先住民族がいると推定されています。国連では国際先住民年(世界の先住民の国際年)を1993年にもうけました。「アイヌ新法」もそうした国際的な一連の動きのなかで成立したともいえるのです。
近年、アイヌ文化振興・研究推進機構が「イランカラプテ」(こんにちはからはじめよう)の標語を入れ、アイヌ文様をあしらったカレンダーを刊行するようになりました。月名はアイヌ語で1(シネプ)、2(トゥプ)、3(レプ)とつづく表記を入れています。カレンダーは文化振興におおいに役立っているのです。
中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。