迎え火、送り火
日本のお盆はふつう先祖が家に戻ってくる時節と考えられています。迎え火と送り火はその象徴的な習俗です。とくに有名なのは京都五山の送り火です。8月16日の晩、8時をすぎると東から西に向かって大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形の順に次々と点火され、夏の夜空を彩ります。他方、川や海に精霊船を流して見送る風習も全国に見られます。とりわけ広島や長崎の灯篭流し/精霊流しは原爆の被災者をとむらう行事としてはじまり、メディアにも良く取り上げられるようになりました。海外においてもハワイやカリフォルニアで日系人による灯篭流しがおこなわれています。個人的には、こどもの頃、故郷・北信濃の山村の道路脇で、ワラ束を焚き、13日の晩には「じいさん、ばあさん、この火でおでやれやー」、16日の晩には「じいさん、ばあさん、この火でおけられやー」と声を張り上げたことが懐かしく想いだされます。
旧暦のお盆
一般に、お盆は8月の13日から16日の4日間におこなわれる全国的な行事です。お盆の帰省がそれに合わせていることは言うまでもありません。しかし、東京だけは例外です。東京のお盆は7月の13日から16日です。どうしてなのでしょうか。また、いつ頃からそうなったのでしょうか。
これは明治6(1873)年のいわゆる明治改暦と関係しています。旧暦のお盆は7月15日の盂蘭盆会(うらぼんえ)を中心とする前後数日の一連の行事でした。明治新政府が断行した改暦は太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦(新暦)への切り替えでしたので、政府お膝元の東京では季節を考慮せず、そのまま日付を新暦に移行しました。しかし、西日本の農村などでは田の草取りに忙しい時期に当っていたため、農作業が比較的暇な8月に1ヵ月ずらして実施するようになりました。月遅れと言われる所以(ゆえん)です。
旧暦から新暦への切り替え
祭や行事など旧暦の日付を新暦にどう切り替えるか、いろいろ紆余曲折がありました。何しろ急な通達で旧暦の明治5年12月3日が新暦の明治6年1月1日となったのですから、人びとは大いにとまどったにちがいありません。東京の都市民はともかく、大多数の農民はひと月も前倒しになる盆は想定外だったことでしょう。京都や大阪の都市民は祇園祭や天神祭を月遅れの祭礼として対処しました。それに合わせて、月遅れの盆は自然の流れだったとも言えます。
他方、旧暦の日付通りにおこなう行事もあります。中秋の名月がその例です。月齢を無視して、新暦の8月15日になったとしたら、満月は望むべくもありません。かたや桃の節句(雛祭り)や端午の節句は旧暦の日付を新暦の日付に置き換えるところもあれば、月遅れにするところもありました。つまり、①旧暦通り、②新暦に読み替え、③「月遅れ」の3択で対応したのが日本です。
中国や韓国では太陽暦を採用したとき、太陰太陽暦はそのまま併存させる措置をとりました。たとえば春節(中国)/旧暦元日(韓国)とよばれる旧正月はそのまま温存されています。日本の場合は、旧暦を廃止してしまった関係上、上記のような3つの対応がなされてきたのです。
まちまちな先祖祭祀の日
日本のお盆は先祖祭祀が中心です。イエでまつる先祖を供養するのが主眼です。ところによってはイエではまつられない精霊に対して施餓鬼供養がなされますが、副次的かつ限定的です。ところが、台湾では陰暦7月15日の中元節では普度(ポオトオ)という餓鬼の供養が中心となっています。普度とは正規にまつられない死者(餓鬼)を済度するという意味です。日本の死者がホトケ(仏壇にまつられる死者=先祖)とよばれるのとは対照的です。
中国ではお墓参りをするのは4月上旬の清明節(二十四節気の一つ)です。韓国では清明節にあたる寒食節に加え、陰暦8月15日(中秋)の秋夕が墓参の盛んな日となっています。日本では春秋の彼岸(春分と秋分)が墓詣でのお日柄です。このように同じ東アジアでも先祖祭祀の日付や仕方はまちまちです。これは比較文明学的な考察を必要とする課題です。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。