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秋の蝶

季語 2025.09.10

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こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。

長かった夏も終わる頃、少しずつ和らいだ気候の中で、厳しかった暑さを乗り越え秋を迎えた虫たちの気配を感じることが増えてきます。
真夏に響き渡っていたセミの大合唱が少しずつ落ち着いて、入れ替わるように聞こえ始めるのはスズムシやコオロギなどの趣深い声です。それぞれに個性的で美しい音を奏で、秋の訪れを知らせてくれる虫たちは、秋の虫の代表者とも言えるかもしれません。

でも、今回ご紹介するのは「秋の蝶」という言葉。
「秋の蝶」という言葉は、俳句の世界では秋の季語として使われています。
蝶と言えば、やはり春のイメージが強いですよね。その数も種類も多く見かけることができて、たくさんの花が咲く春には生き生きと飛び回る姿に出合えます。

残暑の後の立秋を過ぎた頃にも蝶を見つけることができますが、春に比べればその数も少なく飛び方には少し元気がありません。
あえて句の中で「秋の蝶」という言葉を使うにあたっては、そこに宿る寂しげな印象から、冬を前にした蝶の「人生の終わり」や「命の儚さ」をイメージさせることが多いようです。

蝶はよく、亡くなった人が姿を変えて現れるといった見方や、神様やご先祖様のお使いとして見られることもあり、儚げですが神秘的な印象を与えてくれる不思議な虫でもあります。

一見すれば目的がないようにも感じられるような、どこに止まるかわからないフワフワとした飛び方も、見る人の心次第でさまざまなメッセージを伝えてくれているようにも思えるのではないでしょうか。

俳句の中における「秋の蝶」の寂しげな印象は確かにありますが、私はその姿を見ていると、何となくもの悲しいだけの存在ではないようにも思えてくるのです。

現実世界の何ものにも縛られることなく、心地よく高い秋の空を気ままに飛ぶ姿。
たとえ近くに仲間がいなくても、健気に気高く羽ばたく姿。
好きなものの方にふらりと向かったかと思えば、一つの場所に執着するわけでもなく、休みたいときに好きなように羽を休める姿。

終わりを目の前にしているからこそ、より自由に、より大胆に生きられるということもあるかもしれません。
命は儚いからこそ、いとおしくて、美しく輝くものでもありますよね。
秋の蝶の自由な姿もまた、私たちは少しうらやましく思えるのではないでしょうか。

皆様は、秋の蝶にどんな印象を抱きますか?
どこかでその姿を見かけることがありましたら、じっと観察してみてはいかがでしょうか。

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紺野うみ

巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。

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