和暦研究家の高月美樹です。
春の季語に蜷(にな)という言葉があります。カワニナは川や水路にいる黒っぽい巻貝。川底を動き回るカワニナの這った跡が道のように残るので、「蜷の道」として俳句によく詠まれてきました。たとえば、
蜷の道ひとつ結んでありもする 一壺
水底に蜷の這ひたる月日あり 野風呂
いかがでしょうか。イメージがわきますよね。このカワニナはホタルの幼虫の重要なエサで、その場所にホタルが出るかどうかは、カワニナの生存を確認することでわかります。
山の清流が直接流れこんでいる私の田んぼは標高が高いので七十二侯より遅くなりますが、毎年、ホタルが飛び交います。ホタルが好きな村のおじいさんはよくカワニナを探して、今年も出るな、と呟いていました。電気のない真っ暗な夜の田んぼにスーッ、スーッと光の筋が流れる光景はなんとも美しく、幻想的です。
ところで、私が畦や森でよく見かけるのはこの陸生のオバホタルです。昼行性なので光ることはありませんが、日中見つけやすいホタルです。
世界で2000種以上いるホタルの仲間はじつは陸生の方が圧倒的に多く、幼虫期を水中で過ごす種はごくごくわずか。水性のホタルの棲息は湿潤な東南アジアに集中し、水のある環境、つまり水田とともに進化してきたと考えられています。日本ではご存知の通り、ゲンジボタル、ヘイケボタル、クメジマホタルが水性のホタルです。
ホタルの幼虫は成長すると水中から土手に這い上がってきて、土にもぐりこみ、数週間、さなぎの期間を過ごします。幼虫たちは、土がやわらかくなる雨の日に水から上がってくることが多いそうです。
そしてホタルが羽化するのは、ちょうど梅雨の始めごろ。土が乾いて固くなっていると出てこれなくなってしまうこともあるとか。順当な梅雨の雨はホタルの生存にとっても大事な条件なんですね。土から出てきたホタルはしばらく草の上で休んでから、仲間を求めて飛び立ちます。
腐った草というのは文字通りやわらかい腐葉土をさしているのかもしれませんし、濡れた草かもしれませんが、科学的ではないとされる「腐草為螢」という七十二侯の表現は、あながち間違っていないように思います。
話は変わりますが、私がこれまでに見た中で、もっとも壮大なホタルの光景は西表島の夜でした。明かりのない真っ暗な場所ならもっと星がよく見えるだろうと出かけた先で、偶然、その見晴らしのよい場所に出会ったのですが、空はもう隙間がみえないほど、おびただしい数の星、星、星。肉眼ではっきりと渦巻き状の星雲がみえることに驚きました。
その空がなぜか大地にも広がったかのように光っていました。何百、何千というホタルの光です。星とホタルしかえみえず、天と地の境目もよく分からないという、なんとも不思議な風景でした。
そういえば、蛍の語源は「火垂る」とも「星垂る」といわれています。西表島にはヤエヤマボタル、キイロスジホタル、オオシママドホタルなどの光るホタルがいるそうですが、いずれも水生ではなく、陸生です。水性、陸生いずれにしても発光するタイプのホタルは徹底して光を嫌い、暗い場所を好みます。車のヘッドライトが始終あたるようになるだけで、いなくなってしまうそうです。
懐中電灯やカメラのフラッシュも、ホタルに悪影響を与える光害になるのだとか。きれいな水と、漆黒の闇がなければ生きていけない繊細なホタルたち。一年近くを幼虫としてすごし、成虫として生きられる期間はわずか1、2週間。幼虫のときは肉食ですが、成虫になると水しか飲まないそうです。
仲間を呼び合うホタルの光の明滅は、次世代をつなぐための大事な行為。昔は「蛍狩り」や「螢籠」などといって、人間たちが持ち帰って楽しむほど当たり前にいたホタルも、今や希少な存在。現代の「蛍狩り」は決して彼らの邪魔をしないよう、奥ゆかしく、そっと眺めるのがよさそうです。
うちの近所ではホタルブクロが咲き始めました。白もいいし、紫もいい。ちょうどホタルが飛び始める頃に咲く花です。実際にホタルが好んで入ることはなく、訪れるのはマルハナバチですが、名前のおかげでホタルの季節を毎年、思い出させてくれます。
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