漬物男子、田中友規です。
京都に住むようになり12年。
この季節になると、じゅんさいに出会うことが多いのだが、正直に告白すると、恥ずかしながらいまいちその存在価値にピンときていない。
高級食材であり、この喉越しは他にはないことを頭では理解しているのだが、自分の舌でちゃんと理解しているか、と自問すると、おいしいじゅんさいとは、一体なんなのだろうか、と悩んでしまう。
じゅんさいは静かな池沼の水底に根を張り、水面に広く伸びた水草の一種で、彩度のない深緑色の楕円形の葉がゼリー状のヌメリで覆われた植物の若芽だ。
酢の物やお吸い物など、日本料理には欠かせない一品で、京料理には夏の風物詩として必ず登場する存在。
今やじゅんさいのほとんどは中国産だそうで、日本国内では秋田県、青森県、山形県の3県で国内生産の99%を担っている。先日友人からお裾分けいただいたじゅんさいは秋田産だったし、どういうわけか、京都産ではないのだ。
京料理に欠かせないはずなのに、関西では生産すらされていないのはなぜなのだろう。
調べてみると、上賀茂のあたりに、かつて天然のじゅんさいの産地であった深泥池(みぞろがいけ)という池と湿原があり、京都人で知らない人はいないという。
かの北大路魯山人が「京の洛北深泥池の産が飛切りである。これは特別な優品で、他に類例を見ないくらい無色透明なところてん袋が多く付着している。」と昭和7年に記している。
なるほど、魯山人が認めたのであれば、当時は相当に珍重されたはず。
深泥池のじゅんさいを食べてみたい!と思ったのだが、現在、残念ながら入手不可能なのだ。
昭和2年に、深泥池水生植物群として国の天然記念物に登録され、長らく国に保全された環境下で、じゅんさいの採取も行われていたようだが、水質の悪化、外来植物の繁殖が影響し、深泥池のじゅんさいを取ることはできなくなった。
昭和63年、その全域に登録が広げられたことで、京都産のじゅんさいはその幕を閉じたという。
魯山人が食べたじゅんさいは、どんな味だったのだろう。
いままで気にも留めていなかったじゅんさいだが、その歴史を知ると興味がむくむくとわき立ち、思わず深泥池に車を走らせた。
京都盆地の北縁である山の麓に深泥池はあった。
五山の送り火のひとつ、妙法の字をかたどった山側のロードサイドを走りながら、鬱蒼とした池の周りの神秘的で人を近づけないような雰囲気を感じた。
現地に設置された案内板を読んでみると、氷河期からこの池の地形や生態系は続いているという。
平安時代、深泥池の水鳥を和歌に詠んだ和泉式部もこの場所にいたと思うと、令和からタイムスリップしてしまったような、途方もなく長い歳月に飲み込まれてしまうような、畏怖の念を抱いてしまう。
じゅんさいの歴史を紐解いてみたら、まさか一万年以上前にまで遡るなんて。
徐々に強くなる正午前の日差しから逃げるように車に戻り、お昼ごはんを食べて帰路につこうと周辺のレストランを調べてみると「グリルじゅんさい」という気になる名前があったので訪ねてみることにした。名物のエビクリームコロッケと、さくさくのエビフライをいただきながら、この店の名の由来を聞いてみた。
「60年ほど前は、宝ヶ池や深泥池からきたじゅんさい売りがたくさんいたんですよ。お客さんが生まれるよりずっと前の話だけどね」
消えてしまったじゅんさいに思いを馳せた昼下がり。
いまは行政と市民団体の協力により、水質改善が行われ、深泥池には再び良質なじゅんさいが生え始めているようだ。
またいつか、魯山人の愛したじゅんさいが食べられる日がくるのかな。
ゆっくりと、孫の代まで待ってみてもいいなと思えるような、そんな夏の日の話でした。
田中友規
料理家・漬物男子
東京都出身、京都府在住。真夏のシンガポールをこよなく愛する料理研究家でありデザイナー。保存食に魅了され、漬物専用ポットPicklestoneを自ら開発してしまった「漬物男子」で世界中のお漬物を食べ歩きながら、日々料理とのペアリングを研究中。
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