こんにちは。俳人の森乃おとです。
たおやかな紫の花を咲かせるアヤメ(菖蒲、文目、綾目)は、初夏のはじまりを告げてくれます。古くから日本で愛された植物の一つで、本来は明るい草原で自生していましたが、多くは庭や公園で栽培されています。
初夏から梅雨にかけて咲く、アヤメ属の3種の花
アヤメは、アヤメ科アヤメ属(Irisアイリス)の代表的な花です。5月上旬から中旬に咲き、そして同じ仲間のカキツバタ(燕子花、杜若)が続きます。6月の梅雨の季節に入ると、ハナショウブ(花菖蒲)が花を開きます。
初夏から梅雨にかけて次々に咲くこの3種のアヤメ属の植物は、花や葉の姿が互いによく似ています。そのため総称として「アヤメ」という名で呼ぶ習慣も広く存在しました。凜とした優美な姿を区別なく好まれ、現在も全国各地で「あやめ祭り」が行われています。
アヤメ属の花は、萼(がく)が花弁と同じ色に変化しているので、双方をあわせて花被(かひ)と呼ばれます。花被は6枚。外側の大きな3枚(外花被)は垂れ下がり、内側の3枚(内花被)は小型で、しばしば直立しています。葉は細長く、剣形をしています。
花の色は、アヤメは紫が多く、カキツバタが紫か白。江戸時代に盛んに品種改良が行われたハナショウブは、白、桃、紫、絞りがあるものなど多彩です。
3種類とも紫色の場合には、見分けるのが難しくなります。そこから「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という諺も生まれました。
二つの物を比較して「どちらも甲乙つけ難く素晴らしい」場合に使いますし、「区別するのが難しい」という意味でも使います。ちなみに「アヤメ」「カキツバタ」は夏の季語です。
ところで、七十二候の第二十九候は「菖蒲華(あやめはなさく)」ですが、今年は6月26日~7月1日。この「菖蒲(あやめ)」は時期的にハナショウブ(花菖蒲)のことでしょう。
花札の5月札は「杜若(かきつばた)に八つ橋」
開花の時期のほか、見分ける方法の一つとして、生えている場所があります。アヤメは比較的乾燥した場所でも生えますが、カキツバタとハナショウブは湿地や水辺を好みます。
次に、外花被の付け根にある模様です。アヤメには網目のような模様があり、これが和名の由来になりました。しかし、カキツバタには網目模様はなく、小さな白い斑(ふ)があります。ハナショウブにも網目模様はなく、黄色い斑があります。
ところで、花札では月ごとに植物が割り振られ、5月の札にはアヤメ属の植物と水面に板の橋を渡した「八つ橋」が描かれています。この花は一般的には「菖蒲(アヤメ)」」とされてきました。しかし、かるた製造販売の老舗・大石天狗堂は近年、「杜若(カキツバタ)」だとする見解を表明しました。水の中に生えていることと、花被に白い斑があることが、その理由です。
ショウブと混同されてきた歴史
「アヤメとはどの植物を指すのか?」。事態をよりややこしくしてきたのは、全く種類が異なる「ショウブ(菖蒲)」との混同でしょう。ショウブはショウブ科ショウブ属の水辺に生える多年草。花は地味で、全く似ていませんが、葉は剣状でアヤメに似ていなくもありません。芳香があり、邪気を払う力があるとされました。
5月5日の端午の節句は「菖蒲(あやめ)の節句」とも呼ばれ、ショウブをお風呂に入れ、髪や軒先に編み込んで、息災を祈りました。8世紀末に成立した万葉集には「菖蒲(あやめぐさ)」を詠んだ歌が12首収録されていますが、すべてショウブを扱っています。
10世紀初めに編まれた古今集では、「恋の歌」冒頭に“あやめ草”が登場します。
「ほととぎす…あやめ草」までは、下の句の「あやめも知らぬ…」を導き出すための序詞。「筋道が分からない恋をしているのだなあ」という感慨が歌意です。綾目模様に寄せて恋の情熱を詠っていますので、この“あやめ草”はアヤメのこととされています。
アヤメ属(Irisアイリス)の花言葉は共通し、「希望」と「よい便り」。ギリシャ神話の虹の女神「イーリス」が属名となっているためです。
楠本憲吉(1921~1988)の俳句です。すべての妻たちによき便りが届き、悲しみが希望に変わることを祈ります。
アヤメ(菖蒲、文目、綾目)
学名Iris sanguinea
英名Siberian iris
アヤメ科アヤメ属の多年草。北半球に分布。葉は直立し、高さ40~60㎝。花茎は分岐せず、5月頃、径8㎝ほどの花を1~3個つける。
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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