こんにちは。
俳人の森乃おとです。
酷暑は過ぎ、秋の気配が水辺に漂う頃となりました。オモダカは夏の水辺の植物として知られていますが、そぞろ歩きの中で優しい白い3弁花と出合うと、透明な日差しが落ちるこの季節だからこその、特別な味わいが胸に広がります。
「沢潟(おもだか)は、名のをかしきなり」
オモダカはオモダカ科オモダカ属の多年生水生植物で、日本を含むアジアや東ヨーロッパの湿地に広く分布します。漢字では「澤瀉」「沢瀉」あるいは「面高」とも書かれます。
オモダカという名前の由来には、三方向に分裂した大きな葉が人の面を思わせ、それを高く伸ばしている様子からともいわれます。
平安時代の清少納言は、『枕草子』第66段「草は」の中で
「沢潟(おもだか)は、名のをかしきなり。心あがりしたらんと思ふに」と触れています。
現代語訳は、さしずめ「オモダカって名前が面白いわ。調子に乗って得意がっているのかしらって思うもの」。
「心あがり」とは傲慢、気位の高いことの意ですが、才女で名高かった清少納言にとって、誰よりも高く顔を上げて目立とうとする「面高(おもだか)」は、彼女自身のことのようで、どこか親しみを覚えたのでしょうか。
稲作とともに中国から渡来
オモダカは、草丈30~80㎝。葉はすべて根から出て、若い葉は線形ですが、生長すると矢尻形になります。
古い時代に稲作とともに中国から渡来したと見られ、生えている場所は主として水田や溝です。そのため名前の由来には、湿地を意味する中国語の涵澤(オムダク)がなまったという説もあります。
花期は8~10月で、高さ20~100㎝の花径を伸ばし、下方に雌花、上方に雄花を輪生させます。花径は0.5~2㎝と小さく、花弁は3枚です。
秋に茎の基部から走出枝を多数出し、その先に小さな塊茎を作って冬を越えます。
オモダカの大きな特徴は、何といっても、三方に分かれた大きな葉が矢尻の形をしていること。学名のSagittaria trifolia(サジタリア・トリフォリア)は「矢の形をした3つの葉」という意味ですし、英名のThreeleaf arrowhead(スリーリーフ・アロウヘッド)は「3つの葉の矢尻」です。
掲句は江戸期の俳人・与謝野蕪村(1716-1784年)の句。
句意は、「水面に顔を出したオモダカの葉が、まるで矢尻が飛び出したように見える」――。「うらかく」は、矢の先が鎧を貫き、裏側にまで達した状態を指し、『平家物語』などの軍記物によく使われる表現です。ちなみにオモダカは、俳句では夏の季語となります。
銃砲が登場するまで、弓矢は最も強力な武器と考えられていたので、オモダカには「勝軍草(かちいくさぐさ))」という別名までつけられました。
葉と花を図案化した「沢瀉紋」「面高紋」は武家に人気があり、毛利、水野、木下、酒井などの大名をはじめ、100を超える旗本家で使用されました。
柏(カシワ)、片喰(カタバミ)、桐(キリ)、木瓜(モッコウ)など、よく使われる紋は10大紋と呼ばれました。沢潟紋もその一つです。
俳人・森澄雄は、「いくさに死にし」者たちを悼みます。先の戦争では多くの若者が武運を祈り、海を越えて戦に赴いていきました。夏に咲くオモダカの白い花は、生きて還ることがかなわなかった彼らの魂のようにも思えるのです。
水辺に生える清らかな姿から、オモダカは「信頼」「高潔」「秘めたる慕情」など気高い花言葉を持ちます。
ところで、正月料理に欠かせない縁起物の「クワイ」は、同属同種の栽培種で、学名も一緒。オモダカとの違いは、食用とする塊茎(かいけい)の大きさだけ。矢尻形の葉や清楚な花姿も同一です。ただし、クログワイ、シログワイなどは、塊茎の形はよく似ていますが、何とカヤツリグサ科に属します。
クワイは、食用にする塊茎(かいけい)に立派な芽が出ていることから「芽出(めで)たい」として喜ばれます。漢名の「慈姑」は、地中に多くの塊茎を増やすことが、子に乳を与える慈悲深い姑=母を連想させることに由来し、子孫繁栄を象徴します。
結城哀草果は山形県に生まれ、農業に従事しながら東北の農村生活と自然を詠った歌人。「ほのかなる 沢潟の花は――」の歌では、子どもを身ごもった妻の姿にオモダカの可憐な花を重ね合わせ、その儚い美しさを詠んでいます。
オモダカの花のような妻は、やがては子を慈しみ育てる、たくましい母となるのです。哀草果の歌は、そうした連綿と続く生命の営みの尊さまでも称えているのかもしれません。
オモダカ(澤瀉、沢瀉、面高)
学名Sagittaria trifolia
英名Arrowhead
オモダカ科オモダカ属の多年生水生植物。アジア、東ヨーロッパの湿地帯に分布。
葉は特徴ある矢尻形。花期は8~10月。秋に多数の走出枝を出し、先に塊茎をつける。
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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