今日の読み物

お買い物

読み物

特集

カート内の商品数:
0
お支払金額合計:
0円(税込)

龍淵に潜むりゅうふちにひそむ

季語 2025.10.17

この記事を
シェアする
  • X
  • facebook
  • B!
  • LINE

こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。

稲の収穫が終わると、大きな役目を果たした田んぼはひっそりと休みの時を迎えます。
今回ご紹介する「龍淵に潜む」という言葉は、秋分の頃を指す秋の季語のひとつ。

「龍」は古来、水(霖旱=りんかん、雨と日照りのこと)を司ると言われてきた神獣です。中国には、龍が春になると天に昇り恵みの雨を降らせ、秋になって収穫が終わると水辺の淵に潜んで春を待つ、という伝説があります。
そこから生まれた季語で、春分の頃を指す「龍天に昇る」の対(つい)となるのが、秋分の頃を指す「龍淵に潜む」という言葉。
役割を終えた龍は、また巡り来る春に向けて天に昇るための力を蓄えるかのように、ひっそりと休息を始める時という意味が込められています。

稲作をはじめとする農業において、水は命。人々は龍神の力を信じて、その力で田畑の実りを助けていただけるよう、切実な祈りを捧げてきました。
自然界には、人の力だけではどうにもできないことがたくさんありますが、日本人にとってそれらはすべて八百万(やおよろず)の神々が統べる力であり、自然に対する畏敬の念を忘れずに暮らしを営んできた証なのです。

「龍」もまた、私たちの目には見えない存在ではありますが、今なお龍神をお祀りする神社や祠、そして祭祀は全国各地に数多く残されています。
生きる上で欠くことのできない水の恵みを授かり、また水に関わる災いが身に降りかかることのないよう、人々の祈りはこれからも続いてゆくことでしょう。

それにしても「天に昇る」の対比で「淵に潜む」と聞いた時、私はこれが単純な龍の役割やならわしとしての意味だけでなく、私たちの人生における「活動」と「休息」にも置き換えられるのではないかと感じました。

人間誰しも生きていれば、時には自分にとって大切なものや役割を突然失ったかのように思える瞬間もありますし、そんな時にはやるせなさや脱力感に苛まれることもあるでしょう。
暗い水の底に沈んだままどうすれば良いのかわからずに、そのまま浮かび上がることができないのではないか……と思ってしまう瞬間もあるかもしれません。

ですが、きっとそれも、やがて来たる「春」に向けて「天に昇る」ための休息、そして準備期間。
大きな役目を待ちながら淵に潜む龍のように、今だからこそできること、やるべきこと、やりたいことを探しながら、ひっそりと自らの力を蓄えていけばよいのではないでしょうか。

不思議なものですが、あらゆる物事や私たちの人生には、必ず水のように「流れ」というものがある気がしてならないのです。
時の流れとともに浮き沈みが生じるのは自然なことですから、それには無駄に抗うよりも、力をふっと抜いて流れに身を任せてみる方が、かえって上手く事が運ぶこともあるかもしれません。

上手くいかない物事に思い悩んで苦しむくらいなら、ぜひ「龍淵に潜む」の言葉を思い出してみてください。
「今は休息が必要な時なんだ」「今は動くよりも準備をするべき時なのかもしれない」。そんな風に思えたら、きっと心が軽くなります。
軽くなった心なら、見えてくることもきっと多くなるはず。

厳しい冬を前にしたこの季節、龍が教えてくれた「龍淵に潜む」の生き方を覚えておけば、どんなときもきっと大丈夫。
人生の春を目指す明るい希望の力が、きっと心に芽生えることでしょう。

この記事を
シェアする
  • X
  • facebook
  • B!
  • LINE

紺野うみ

巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。

記事一覧

紺野 うみ|オフィシャルサイト