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上巳の節供と食べ物

暦とならわし 2024.03.03

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一段と春らしさを感じられる季節になりました。五節供のひとつに数えられる雛祭り、今では女の子の成長を祝う日とされますが、もともとは「上巳(じょうし)の節供」と呼ばれ、季節の節目に厄払いをする日でした。

これは、月と日が、同じ奇数で重なる日を厄日であると考えた古代中国の暦に由来するもの。日本へは、奈良時代に伝わり、貴族たちの暮らしに取り入れられていきました。

厄払いに使われる「人形(ひとがた)」
鳥取県鳥取市の流し雛「用瀬のひな送り」

古くから日本には、紙の人形(ひとがた)で自分の身体を撫でたり、息を吹きかけたりして穢れを移し、それを川などの水辺に流して厄や災いを祓い、無事を願う風習がありました。

上巳の節供にもそうした厄祓いが行われるようになり、現在でも続く「流し雛」の起源となりました。

明治の文献には立派な段飾りが描かれている(『当世風俗通』「ひなまつり」・東京都立図書館TOKYOアーカイブより)

シンプルな紙の人形が、時代とともに変化し、紙雛から、布製の雛人形、美しい着物の綺麗な雛人形へと、どんどん進化し発展していきました。

現在でも飾られる豪華な段飾りが登場したのは江戸時代後半以降。一般の家庭にも広く普及したのは、明治時代に入ってからです。

『雛人形』(1857年)には菱餅や落雁などいろいろなお供物が見える(国立国会図書館デジタルコレクションより)

雛祭りの行事食として古くから欠かせなかったものは、桃花酒と草餅です。

桃の節供とも呼ばれる通り、桃の花を酒に浸した桃花酒(とうかしゅ)が飲まれました。古代中国で、桃は邪気を祓い、長寿をもたらす神聖な果樹だと珍重され、日本でも古くから飲用されたのです。

その後、江戸時代には江戸の酒屋「豊島屋」が雛祭りの時期に白酒を売り出し、これが大流行。次第に白酒が広まり、そちらが主流となりました。

一方、草餅は、古くはホウコグサ(別名ハハコグサ)という植物を加えた餅でしたが、江戸時代になるとヨモギを使った草餅が一般的に。みずみずしい新芽の活力を身体に取り込み、草の強い香りで邪気を祓うという意味もありました。

残ったご飯が雛菓子に姿を変えた、鳥取県の「おいり」

前述した白酒や草餅以外にも、ひなあられや蛤のお吸い物、ちらし寿司など、雛祭りの行事食としてイメージするものがありますね。そうしたよく知られたものだけでなく、各地にいろいろな雛祭りの食べものが受け継がれています。

例えば、鳥取県では「おいり」という、干したお米を炒って、水飴でかためた素朴なお菓子が欠かせません。

近年はほんのり色づけられた可愛らしいものが目立ちますが、昔は色などつけず、残ったご飯を干して乾飯にしてから、炒って作られていました。食べものを無駄にしない精神から生まれたお菓子なのですね。

小判型が可愛らしい、岩手県の「きりせんしょ」

岩手県では「きりせんしょ」という不思議な名前のお菓子が作られます。

古くは山椒を刻んで浸した汁を使い、粉を練っていたことから、「きりさんしょう」と呼ばれており、それが訛って「きりせんしょ」と呼ぶようになったとされますが、今では山椒を使うことはないといいます。

作り方はシンプルで、米粉に胡桃や胡麻を加えて練り、砂糖と醤油で味付けをして、蒸したら完成です。

上巳の節供にはお雛様にお供えする風習があり、昔は家庭で手作りすることも多かったそう。優しい甘みにもちっとした食感は、昔ながらのおやつという雰囲気。腹持ちが良いため、農作業の合間のおやつにも好まれ、大切な郷土菓子として親しまれています。

みなさんの地域にも、その土地ならではの雛菓子や行事食が伝わっているかも。今年の雛祭りは、ぜひふるさとの味わいを見つけてみてくださいね。

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清絢

食文化研究家
大阪府生まれ。新緑のまぶしい春から初夏、めったに降らない雪の日も好きです。季節が変わる匂いにワクワクします。著書は『日本を味わう366日の旬のもの図鑑』(淡交社)、『和食手帖』『ふるさとの食べもの』(ともに共著、思文閣出版)など。

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