今日の読み物

読み物

お買い物

人気記事

特集

カート内の商品数:
0
お支払金額合計:
0円(税込)

おせち料理の歩み

暦とならわし 2025.01.02

この記事を
シェアする
  • X
  • facebook
  • B!
  • LINE

お正月、のんびり過ごしておられますか?

お正月の食卓を彩るものといえば、おせち料理とお雑煮でしょう。時代の変化とともに元日からいろいろな食事ができるようになりましたが、伝統的なおせちとお雑煮をいただくと、やはりこれがなきゃ新年が始まらないなと感じます。

こうした風習はいつごろから続いているものなのでしょうか?

お正月には歳神様の依代とされる鏡餅をお供えします

お正月のそもそもの意味は、一年のはじまりに歳神様をお迎えして、新年の五穀豊穣や一年の安寧を願うというもの。一年の中で最も大切な節目の日です。

「おせち」とは、節日(お正月や節供など節目の日)にそなえる神様へのお供えものを意味する「御節供(おせちく)」という言葉の略称です。もともとはお正月に限らず使われた呼び名でしたが、次第に最も大切な節目のお正月の料理だけを「おせち」と呼ぶようになりました。

そうした節日や儀式の際に神様にお供えした食べものを下げて調理し、家族や地域の人たちとともにいただくことを「神人共食」といいます。行事食の本来の目的は、神人共食を通して、神様の力を食事からいただき、日々の災いや邪気を祓い、無病息災や家庭円満など、暮らしの安寧を願うことにありました。

井原西鶴『日本永代蔵』(1688)ではお正月の風景の中に蓬莱が描かれています(赤枠筆者、出典:国立国会図書館デジタルコレクションより)

お正月の行事は、中国から伝わった暦や年中行事が日本古来の風習や祭祀儀礼と融合するかたちで、奈良時代の貴族社会に取り入れられて、始まったとされます。さらに、平安時代には年中行事としての形式が定まり、貴族の生活の中に定着していきました。

現在のおせち料理のもとになったのは、蓬莱(または喰積とも呼ぶ)といって、蓬莱山を模して三方に酒肴を盛り付けたものだといわれます。これは、もともとはお正月に限らず、平安時代の貴族たちの間で、お祝いの儀式などで乾杯の際に酒肴として振る舞われ、鎌倉時代には武家の儀礼の際にも酒肴として食されたものです。

お祝いや酒席の肴に欠かせなかった祝い肴三種

江戸時代になると、蓬莱は床の間に飾られるだけで、あまり食べられなくなっていきました。一方で、食べるための酒肴をお重に詰めたものが登場するようになります。

江戸時代後期の『日用惣菜俎』(1836)は、お正月や七夕といった年中行事の献立を記した資料です。ここでは、お正月の「節料理」や重詰めの献立が紹介され、そこには数の子や黒煮豆、ごまめ、たたきごぼうなど、現在でもおせちに欠かせない祝い肴と呼ばれる品々が記されています。室町時代に登場していたお雑煮と合わせて、江戸時代はお正月料理の定番が出揃った時期と言えるでしょう。

『日用惣菜俎』(1836)には年始のお客もてなす様子が描かれています(出典:国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター別置資料より)

挿絵では、年始のお客をもてなす様子が描かれており、お雑煮のお椀、重詰めから料理を取り分ける女性、手前には屠蘇器、奥には蓬莱(喰積)が飾られています。伝統的なお正月のスタイルが、このころにはほぼ完成されていたというのが驚きですね。

現代はおせち料理にもさまざまな種類が登場し自由に楽しむ家庭が増えています

日本人の暮らしは変化し、今ではお正月の過ごし方も多様化しています。おせち料理だけでなく、お寿司やカニ、鍋料理など、家族の集まるお正月にはみんなでご馳走を食べようと計画されているご家庭も多いことでしょう。

ライフスタイルに合わせて自由なお正月が楽しめるようになった今では、伝統的なおせち料理が逆に新しく感じられるかもしれません。ご自身の暮らしに合った心地よいお正月の過ごし方を見つけてくださいね。

この記事を
シェアする
  • X
  • facebook
  • B!
  • LINE

清絢

食文化研究家
大阪府生まれ。新緑のまぶしい春から初夏、めったに降らない雪の日も好きです。季節が変わる匂いにワクワクします。著書は『日本を味わう366日の旬のもの図鑑』(淡交社)、『和食手帖』『ふるさとの食べもの』(ともに共著、思文閣出版)など。

記事一覧