こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。
梅雨に入ると雨の日が増え、じめじめとした湿気のわずらわしさを感じる方も多いのではないでしょうか。
湿度が高いと余計に、まとわりつくような蒸し暑さが辛いものですよね。
しかし、それもある意味では贅沢な話なのかもしれません。
現代の日本では、蛇口をひねれば当たり前のように豊富な水が出てくる生活をしていますから、日常の中で「水不足」を実感することもあまりなくなっているかもしれません。
しかし、農作物を育てている人にしてみれば、雨はまさしく恵みの雨。
自然の中に生きる動物たちや植物たちにとっては、命の雨とも言えるものです。
恵まれた生活をしている私たちだって、誰一人として、水なしでは数日と生きることができません。
今回のお話は「雨乞い」について。
言葉としては、夏の半ば頃をいう「仲夏」という季節を表現する季語にもなっています。
意味は、日照り続きの干ばつ時に、雨が降るよう神仏に対して祈ること。
祈りを捧げる対象は、それぞれの土地の氏神や、雨や水を司るとされてきた龍神や水神が一般的です。
文明がこれほど発達する以前、人々にとって「雨」は、日々の暮らしと命に直結するかけがえのないものでした。
飲み水や生活用水、何よりも農作物を育てていくのに、欠くことができないものだったからです。特に、豊かな水が欠かせない稲作においては、日照りがもっとも恐ろしいもの。
人々は雨が降らない日が続くと、切実に「恵みの雨」を祈ってきたのです。
自然からの恩恵や災害などは、私たち人間の力や努力だけではどうにもならないことばかり。
だからこそ日本人は古くから、自然への感謝や畏敬の念を忘れることなく、季節の折々に祈りを捧げてきたのでしょう。
日本における雨乞いも地域によって、季節の祭祀として行われてきた祈祷から、神々に捧げる雨乞い唄や雨乞い踊りといった形のものまで方法はさまざまです。
村人が神社にこもって、降雨を祈願するもの。
神に唄や踊りを捧げて、雨を乞うもの。
雨乞いに効果があると信じられている神社や滝つぼなどの聖地から霊験ある神水をもらい、耕地にまくもの。
山頂で火を焚いて、神が火を消すために雨を降らせるようお祭り騒ぎをするもの。
中には、神聖な場所やものをわざと穢すなどして禁忌を犯し、神仏を怒らせて降雨を強請する……といった方法まで。
たとえ神仏に嫌われてでも、生きるために必要だった水の恵み。
地域によっては今もなお、お祭りや祭祀として受け継がれているものもありますが、それらを行ってきた人々の気持ちや想いを想像すると、その切実さが伝わってくる気がします。
当たり前のように水が身近にある暮らしをしていても、そのありがたみだけは決して忘れてはならないものですね。
雨が降らないときの苦悩と、逆に、雨が降り過ぎたときの苦悩。
降り過ぎれば災害にもなりかねませんから、それぞれの悩みが人にはあるものですが、ほどよい雨は私たちにとって大切なもの。
私たちひとりひとりが生きる中でできるのは、できる限り雨の日を楽しみながら過ごすことかもしれません。
雨の日なりのおしゃれを楽しんだり、雨だからこそできる遊びをしてみたり、雨にぴったりの趣味や食事をたしなんだり……。
皆様は、雨の日にどんなことをして過ごしたいですか?
雨乞いをしてきた人の気持ちになって、雨を喜びながらできることを、なにか見つけてみてくださいね。

紺野うみ
巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。
