猛暑続きの夏でしたが、九月も半ばを過ぎて、ようやく朝夕の風に涼しさを感じられるようになりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とは、本当にうまく表現した慣用句ですよね。
この時期、日本では「お彼岸」といって先祖を供養する行事が営まれます。二十四節気のひとつである秋分を中日として、前後三日間を含めた七日間をさす彼岸は、春(春は春分の日を中日とする)と秋の二度巡ってきます。
彼岸会と先祖供養
お彼岸の行事の起源ははっきりとわかっていませんが、少なくとも平安時代には行われていた記録が残っています。
寺院では彼岸会という法要が営まれ、人々はお墓参りをして先祖をしのびます。昼と夜の長さがほぼ同じになり、太陽が真東から昇り真西に沈む秋分の日は、仏教においては、はるか彼方の西方にあるとされる極楽浄土へと思いを馳せ、祖先を供養するのにふさわしい時期ととらえられました。
日本に古くからあった先祖供養や豊作を願う農耕儀礼と仏教行事とが融合するかたちで、こうした風習が生まれたものと考えられています。その後、日本独自の習わしとして定着し、江戸時代には年中行事として庶民にも広まりました。
秋はおはぎ、春はぼた餅
そんなお彼岸に欠かせない菓子が「おはぎ」あるいは「ぼた餅」です。炊いたもち米とうるち米を軽くつぶし、小豆餡で包んだ素朴な菓子で、今でも和菓子店に並んでいる、日本人にとっては馴染み深い味わいでしょう。
江戸時代の文献『本朝食鑑』(1692)には「ぼた餅」の名が見え、当時から親しまれていた様子がわかります。呼び名の違いについては、もともと「ぼた餅」の名前が一般的だったものが、宮中で使われていた女房詞でぼた餅を「萩の花」と呼んだため、それに由来した「おはぎ」の名も広まったよう。
春のお彼岸には牡丹の花に見立てて「牡丹餅」、秋のお彼岸には萩の花になぞらえて「お萩」と呼ぶように変化していったと考えられています。季節の花になぞらえた、素敵な呼び名を持つ和菓子です。
行事菓子から、日々を彩る菓子へ
江戸時代後期の『守貞謾稿』(1853)には、お彼岸の季節に家庭で作ったおはぎを、隣近所や親類などと贈り合う習慣があったと記されており、この時期、人々のたのしみの一つだったのでしょう。
その頃には、江戸の街ではぼた餅の名店も誕生し、「おてつ牡丹餅」と呼ばれて親しまれていました。場所は現在の東京都千代田区麹町。小豆餡、きなこ、そして胡麻という3種類の牡丹餅が評判を呼び、店はとても繁盛していたそうです。おてつというのは、お店の看板娘だったおてつさんからとった名前なのだとか。家庭で作るぼてっとした牡丹餅よりも小さく、団子のように小ぶりで食べやすい牡丹餅だったといわれます。
お彼岸の季節に楽しむものだった行事菓子から、日々のひとときを彩ってくれる和菓子へと、おはぎが変化していった姿が浮かびますね。
お彼岸の頃は、ようやく暑さも落ち着いて、本格的な秋へと季節が進んでいく大切な節目でもあります。その折にいただくおはぎは、移りゆく季節と先祖をしのぶ心とを結ぶ味わいともいえるでしょう。
今年もまた、静かに手を合わせ、家族とおはぎを分かち合う秋のひとときを大切にしたいものです。

清絢
食文化研究家
大阪府生まれ。新緑のまぶしい春から初夏、めったに降らない雪の日も好きです。季節が変わる匂いにワクワクします。著書は『日本を味わう366日の旬のもの図鑑』(淡交社)、『和食手帖』『ふるさとの食べもの』(ともに共著、思文閣出版)など。
