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日本の色/桃染ももぞめ

にっぽんのいろ 2024.03.02

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3月に入り、奈良東大寺では修二会がはじまりました。3月1日から14日まで続く行で、「修二会が終われば春が来る」と言われますが、今年は早く、2月下旬に春めいた気温の日が続きました。陽春のきざしが見える3月3日は雛祭り「桃の節句」。今回はその桃の花色、「桃染」についてご紹介いたします。

3月3日というと、女の子の生まれたお家では雛人形を飾る習わしがありますが、この歴史はそれほど古くはなく、元々五節句の一つで、春の祓(はら)え、いわゆる禊(みそぎ)の日でした。人形(ひとがた)と呼ばれる紙や藁などでつくった人形の体を撫でて、自身の身の穢れや、災いをうつし、川や海に流してお祓いをしていました。

桃染 写真提供:紫紅社

女の子の節句となり、雛人形を飾るのは江戸時代になってからで、これは平安時代の貴族の習わしである「ひいなの遊び」が発展していったものと考えられています。雛壇に供えられる菱餅の3色は、この季節に咲く桃の花、白いにごり酒、そして春に芽生え、成長していく蓬を表しているそうです。

「桃の節句」と呼ばれるようになったのは、旧暦の3月3日頃に咲く花であることもありますが、桃が古より魔を払う力を秘めた仙木である、と言われています。その力に頼り、水辺で禊をした後に、桃の花を浮かべたお酒を飲むことによって、その強い生命力にあやかるようになったのです。

写真提供:紫紅社

ところで、私は、京都市の南、伏見区桃山町というところで生まれ育ちました。現在は住宅街ですが、かつては周辺に竹林や梅林、そして桃林があり、自然の美しさが近くにある場所でした。季節になると、可憐に咲く桃の花を、道すがら見に行っていた記憶があります。

また、この辺りは豊臣秀吉が築城したと言われる伏見城の城下町でもありました。江戸時代の初めに廃城となり、その後地震などもあって荒れ果てた土地となってしまったのですが、やがて桃や梅、柿などの果樹が植えられるようになり、農地となったのです。

桃や梅の果実は、宇治川から淀川へと河運を使って大阪の天満の市場に運ばれ、大変美味であると評判になっていたそうです。その周辺はやがて「伏見桃山」、「桃山」と呼ばれるようになりました。

写真提供:紫紅社

江戸時代の俳人松尾芭蕉は、冒頭で触れた東大寺修二会を拝した際に、「水取りや氷(籠りの説もあり)の僧の沓(くつ)の音」という俳句を詠みました。その後、京に出て、伏見桃山に咲く桃がことのほか美しい、という評判を聞きこの地を訪れ、「わが衣(きぬ)に伏見の桃の雫(しずく)せよ」と詠んでいます。満開に咲く桃の雫で私の衣を染めてくださいという意味です。

この色は、「桃色」ではなく文字記録では「桃染」と書かれていることが多く、桃の花びらを使って染めているような印象を受けますが、残念ながらその花びらは色素を持っていないので、紅花を使い、淡く染めて表すのが「桃染」という色をあらわしていました。

写真提供:紫紅社

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吉岡更紗

染織家・染司よしおか6代目
京都市生まれ、京都市在住。紫根、紅花、藍などすべて自然界に存在する染料で古法に倣い染織を行う「染司よしおか」の6代目。東大寺二月堂修二会や薬師寺花会式など古社寺の行事に染和紙を納める仕事もしているため、冬から春にかけてが一番好きな季節。美しい日本の色を生み出すために、日々研鑽を積む。

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