小さな針山をつくる
百穀を潤す雨の降るという、穀雨です。空気も大地もだいぶあったまってきて、この季節に降るのはまさしく慈雨。草木を育てる恵みの春雨です。あらゆる種類の花が咲いて、どちらを見ても、なにかの花が目に入ってくる美しい季節。
このころは庭仕事も忙しくなりますが、雨が降ると庭仕事はむずかしい。そんな時は、ただいま取り掛かっているししゅうの大作に取り組みます。ようやく材料が揃って刺し始めた、サンプラーのししゅうです。
ヨーロッパやアメリカでは、入学や結婚、出産など人生の節目には、記念のししゅう作品をつくる習慣が昔からありました。手元にあるサンプラーの本には、18世紀のサンプラーの写真が多く載っています。古くから、少女や大人になった女性はサンプラーをつくってきたのですね。アルファベットや植物、動物など、ししゅうのモチーフは多彩。
もう30年近く前、母が還暦の記念にサンプラーを刺したのに影響されて、自分でも還暦記念に作ろうと思っていたら、コロナ禍で材料を揃えられずに早2年。ちょっと遅れてのスタートです。
さすがに50センチ四方の大作を突然始めるのには勇気がいる、ということで、まずは手慣らしに針山をつくることにしました。サンプラー を刺しているあいだは何度も針を刺したり抜いたりするので、使いやすいものをと思い、中にはコーヒー豆のかすを入れることにしました。コーヒーを淹れたあと、豆のかすを乾かして準備。だいたいコーヒー3杯分です。
コーヒー豆の針山は、以前友人にもらって重宝しました。香りがよくて、針を刺しやすい。そのうえ、友人によるとコーヒー豆の油分で針がさびないと。たしかにこの針山を使っているあいだ、針はさびませんでした。
コーヒー豆を乾かしているあいだに、中袋と表地を縫います。表地にはサンプラー制作のウォーミングアップのため、クロスステッチで模様をちょいと刺してみました。クロスステッチも一時期さんざんしましたが、このところサボっていたので久しぶり。でも、始めるとやはり楽しいものです。進めていると止まらなくって、これぞニードル・ハイ。
中袋はガーゼを使います。これも針の通りがいいように。表地はクロスステッチ用の生地で、ステッチはワンポイント程度にしました。もちろんししゅうをしなくても、好きなプリント地を使うのもいいですね。その場合は、やわらかめの生地を選ぶと針の通りがよいようです。
中袋のガーゼの2辺を縫ったら、乾いたコーヒー豆をそっと入れます。パンパンに詰めたら、開口部を縫いとじて。
次に、刺繍ができ上がった表地を中表にして、2辺を縫います。表に返したら、中袋を入れて、開口部をとじたらでき上がり。
雨の日は、慈雨を窓の外に見ながら刺繍をして。雨に濡れる庭の花など眺めていると、晴れたらあれもしよう、これもしよう、と庭仕事のプランが泉のように湧いてきます。我が庭にも降りたもう、恵みの雨。
平野恵理子
イラストレーター、エッセイスト
1961年静岡県生まれ。著書に『五十八歳、山の家で猫と暮らす』『歳時記おしながき』『こんな、季節の味ばなし』ほか多数。好きな季節は、季節の変わり目。現在は八ヶ岳南麓在住。
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