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ネジバナ

旬のもの 2021.07.04

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こんにちは、俳人の森乃おとです。

日当たりの良い草地で、ピンク色の小花が螺旋状に花茎を取り巻いた、可愛らしい不思議な造形の植物を見かけることがあります。野生ランの仲間の、ネジバナの花です。

ピンクの小さな螺旋階段

ネジバナ(捩花)は、ラン科ネジバナ属の多年草。日本全土とユーラシア大陸、温帯・熱帯アジア全域に広く分布します。和名の由来は、花が捩(ねじ)れたように茎を取り巻く姿からで、ネジリバナ、ネジレバナとも呼ばれます。

学名も同様で、属名の「Spiranthes」(スピランテス)はギリシャ語で「螺旋の花」 。種名の「sinensis」(シネンシス)は「中国産」の意です。

初夏に10~40㎝の花茎を伸ばし、数mmほどの小さな花を花茎に垂直に、螺旋状に取り巻きながらつけ、下から順に咲かせていきます。そのため、まるでピンクの螺旋階段のように見えます。取り巻き方には左巻きと右巻きがあり、その比率はほぼ同じだそうです。
花は6弁で、正面から見ると、小さいながらもラン科特有の左右対称の蝶のような形をしています。一番大きな下の花弁は白、他の5弁はピンク色です。

はかなく消えやすい花

ラン科の植物は特定の細菌と共生して、栄養を分けてもらっているので、土壌の条件が変わるとうまく生育することができません。ネジバナも同様です。また、小さいので花期が終わると雑草として刈り取られてしまい、群落全体が簡単に姿を消してしまいます。ひと夏の夢のような「ピンクの螺旋階段」を同じ場所で再び目にするためには、数年を待たなければならないこともしばしばです。

江戸時代は野生ランブームで、盛んに品種改良の試みもなされましたが、変異を固定するのが難しく、その成果は残っていません。

文字摺(もじずり)の 階を下りゆく 雫(しずく)かな   ―阿波野青畝(あわの・せいほ)

ネジバナには、モジズリ、モジズリソウという異名もあります。「文字摺」「捩摺」などと表記されます。
俳人・阿波野青畝(1899~1992年)の句は、一滴のしずくがネジバナの階段を伝い、次第に膨らみながら落ちてゆく美しい情景を詠んでいます。

陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに   ―源融(みなもとの・とおる)

古今集を経て小倉百人一首にも収録されている有名な恋歌です。
作者は、邸があった六条河原にちなんで「河原左大臣(かわらのさだいじん)」とも呼ばれた源融(822~895年)。嵯峨天皇の第12皇子で、当代きってのプレイボーイとして名高く、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの最有力候補と目される人物です。

陸奥の国の北方、現代の福島県信夫(しのぶ)郡は、乱れ模様の織物「しのぶもぢずり」の名産地でした。その「信夫」と「心に耐え忍ぶ」の意の「忍ぶ」は掛詞となります。
「乱れそめにし」は乱れ染めと「乱れ初(そ)める」の掛詞です。

ネジバナが「モジズリ」と呼ばれるのは、この織物に由来しているという説があります。布に草木の汁を直接摺(す)りつける「摺り染め」は、草木染の最も原初的な技術で、その模様が文字を書き散らしたように見えることから、「文字摺」や「乱れ染め」などと呼ばれました。

みちのくの信夫の里で織られる「しのぶもじずり」の乱れ模様の摺り衣のように、誰のせいで耐え忍んできた私の心は乱れ始めたのでしょうか。私のせいではありません。(あなたのせいですよ)

残念なことに、織物「しのぶもぢずり」も、染めの技術も、現代には伝えられていません。そのため真偽のほどは不明ですが、「モジズリ」という別名の由来は、「ねじれた花の姿が、『しのぶもぢずり』の模様を思わせることから」とも言われています。
心に秘めておかねばならない「忍ぶ恋」は、平安時代の恋歌の主要なテーマでした。

一方で、俳人の高澤良一氏の作品には「捩花(ねじばな)の妻得て あれから四十年」という優しい情愛を詠った句があります。
ネジバナの花言葉は「思慕」。花茎に花の列が寄り添う姿から生まれました。

ネジバナ(捩花)

別名ネジリバナ、ネジレバナ、モジズリ 学名Spiranthes sinensis 英名Lady’s tresses(貴婦人の巻き毛) ラン科ネジバナ属の多年草。日本全土とユーラシア大陸に広く分布。 数枚の葉を地面に広げて冬を越し、初夏に花茎を伸ばし、数十個の小さな花を螺旋状につける。花の色はピンク。まれに白だけのものも。愛される野草だが、栽培は難しい。

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森乃おと

俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)

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