こんにちは。
俳人の森乃おとです。
雪の消え残る芝草の上に、そこかしこからクロッカスの花が顔を出し、春の到来を告げてくれています。草丈はせいぜい10㎝足らずしかないのに、花の直径は5㎝近くもあり、色も紫、ピンク、黄、白と華やか。まばゆいほどの存在感があります。

秋に咲くサフラン、春咲きのクロッカス
クロッカスは、アヤメ科クロッカス属の球根性多年草です。原産地は地中海沿岸地方から小アジアにかけて。クロッカス属には2~4月に他の花に先駆けて咲く春咲きの仲間と、10月中旬~11月中旬にかけて咲く秋咲きの仲間とがあります。春咲きのものがクロッカス、秋咲きはサフランと呼ばれます。

開花の時期のほかに、サフランとクロッカスの一番大きな違いは、雌しべの長さと芳香の有無。サフランの雌しべは鮮やかな赤やオレンジ色で、強い芳香を放ちます。先端は3分裂して、糸のように細長く伸びています。クロッカスの雌しべは黄色で、芳香はなくサフランほどの長さはありません。

学名は「糸」という意味のギリシャ語から
サフランのこの長く赤い雌しべを乾燥させたものが、「世界一高価なスパイス」と呼ばれるものです。栽培は古代ギリシャ・ローマ時代以前にさかのぼり、食べ物の着色料や染料、芳香剤、鎮痛などの薬用として珍重されてきました。今でもスペイン料理のパエリアや南仏料理のブイヤベースには、サフランが欠かせません。クロッカス属の学名「Crocus」は、長い雌しべに由来する「糸」という意味のギリシャ語「krokos」が基になったそうです。

サフランは江戸時代に薬用として輸入され、明治時代の1880年代に大分県竹田市で本格的な栽培が始まりました。日本で注目されたのは、おそらく薬用のサフランの方で、観賞用でしかないクロッカスには、「春サフラン」「花サフラン」などという別名がつきました。
現在でも、竹田市のサフランの生産量は日本一です。

「春の妖精」の一つ
アヤメ科の花は、一般的に6枚の花被(かひ)を持ちます。外側の3枚は萼(がく)が変形したもので、外花被と呼ばれ、内側の3枚が本来の花弁で内花被です。形も色も完全に同じですので、あまり区別する必要はありません。雄しべは3個、雌しべはサフランと同様、先端が3分裂しています。

葉は松葉のように細く、花の大きさを際立たせます。花が咲き終わった後にも、成長を続けますが、6月頃には地上部は枯れ、休眠生活に入ります。このように、早春にいち早く花を咲かせ、他の草が育ってくると姿を消してしまうはかない花たちを「スプリングエフェメラル(春の妖精)」と呼びます。クロッカスはその代表例の一つです。
以前にもご紹介したカタクリ(片栗)やフクジュソウ(福寿草)なども、スプリングエフェラメルの仲間です。

「クロッカス」と聞けば、必ず思い起こす“詩”があります。劇団「天井桟敷」の主宰者であり、昭和の天才歌人・寺山修司(1935-1983年)の短歌です。1962年、女優の九條今日子(1935-2014年)との新婚生活がスタートした頃に詠まれました。
季節は早春、20代の若く貧しいカップルが、まだ整わずがらんとしたアパートの一室に、買ったばかりのクロッカスの鉢植えを置きます。すると妻となる人は心弾ませ、おそらく即興で「クロッカスの歌」を口ずさむのです。その歌を「新しき家具のひとつ」と受け止める感覚の、なんと瑞々しいことでしょう。

花言葉は「青春の喜び」「切望」「あなたを待っています」
クロッカスの花言葉は、長い冬を乗りこえて、春を迎える待ち遠しい気持ちと喜びを表しています。ちなみに青紫色のクロッカスには、ギリシャ神話から生まれた「愛の後悔」という花言葉もあります。神話では次のように語られます。

少年クロッカスは美少女スミラックスと愛し合っていましたが、神々は二人の結婚を認めませんでした。絶望したクロッカスは自ら命を絶ち、スミラックスも彼のあとを追います。二人を哀れんだ花の女神が、それぞれを美しい花に変えたのだとか。
さて寺山修司の短歌には、高度経済成長期を迎えた1960年代、戦後日本に存在した明るい未来への希望が、まぶしいほどに感じられます。今も昔も人の心は変わらないといわれますが、令和の時代には、どんな新しい「クロッカスの歌」が歌われることでしょうか。

クロッカス
学名Crocus(英名も同じ)
アヤメ科クロッカス属の球根性多年草。地中海沿岸地方、小アジア原産。花期は2~4月。同属のサフランは、花期10月中旬~11月中旬。別名ハルサフラン、ハナサフラン。

森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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