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彼岸桜ひがんざくら

旬のもの 2022.03.18

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こんにちは。ライターで僧侶の小島杏子です。

寒さもやわらぎ、朝、布団から抜け出すのが少しだけ楽に感じられるようになりました。太陽が真東からのぼり、真西に沈むと、春のお彼岸がやってきます。

春や秋の過ごしやすい時期に、お寺の本堂やお墓にお参りをして手を合わせる。あるいは、自分だけの時間をとって、一人静かに生まれては死んでいくもののことについて考える。そんなお彼岸という季節が近づくころ、淡く紅色をした花をつけるのが彼岸桜です。これからはじまる春を告げるように、桜のなかで最も早く花をつけるもののひとつです。

彼岸桜は3月ごろ、葉に先だって花を咲かせます。「小彼岸桜」「曙彼岸」「千本彼岸(ちもとひがん)」などとも呼ばれるほか、同時期には「江戸彼岸」というよく似た桜も美しい花を見せます。江戸彼岸は強健な性質のため広く分布しており、樹齢400年を超える立派な老木が多いことでも知られます。

古くから日本に暮らした人々は、桜という花にさまざまな思いを託してきました。それらは美しいうたとして残され、いまでも私たちのそばにあります。

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が9歳の春、よまれた和歌があります。幼くして両親と別れ、比叡山に入り仏道を歩むこととなった親鸞聖人。夜、伯父に連れられて得度(僧になること)するために慈円和尚を訪ねると「もう今日は遅いから明日にしよう」と言われたそうです。それに対して、親鸞聖人は、一首の和歌を口にされたと伝わっています。

明日ありと 思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは

今、美しく咲いている桜を、きっと明日も見られるだろうと思っていても、夜半に吹く強い風で散ってしまうかもしれない。同じように、自分のいのちが明日もあるかどうかなどわからない、だから今、仏門に入りたいのだという心が込められています。

実際には、これは親鸞聖人の作ではなく、のちの人が付け加えた創作ではないかと言われています。しかし、この句に読み込まれた心に触れれば、それが本物かどうかということはあまり気にする必要はないような気がします(もちろん学問の場では大事な議論です)。

いつどうなるかわからない自分の日々。あると信じている未来が本当に訪れるのかどうか、それは誰にもわからない。しかし、今日が最後の日であるかのように過ごすといっても、行動に反映することはなかなかできないものです。

そんなふうに、気づけばあっという間に過ぎてしまう日々のなかでも、季節の変化は私たちの肩をぽんとたたくように気づかせてくれるのです。

そろそろ春ですよ
そろそろ田植えの季節ですよ
そろそろお彼岸ですよ
そろそろ冬支度をしないとね……

そして、訪れては過ぎ去っていく季節のしるしは、「はじまったものは、いつか終わる」ということも教えます。変わりゆくことは、どことなく寂しさを伴いがちですが、希望もまたそこには見出すことができるのではないでしょうか。

「大切な誰かとの別れがいつか訪れる」ことが変化ならば、「悲しさもいつか形を変えるときがくる」ことや「喜ばしい出来事の訪れ」もまた変化です。春が終わっても、夏だけの喜びや、秋の美しさがあるように。

当たり前に巡る季節のなかでも、よくよく目をこらせば新しく見出されるものがある。彼岸のころに見る桜だからこそ、今年、彼岸桜を見かけたら、立ち止まってゆっくり思いを馳せてみてはいかがでしょうか。季節が教えてくれるもののことを。

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小島杏子

僧侶・ライター
広島県尾道市出身。冬の風景が好きだけど、寒いのは苦手なので、暖かい部屋のなかから寒そうな外を眺めていたい。好きなのは、アイスランド、ウイスキー、本と猫、海辺。

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