ムクロジ(無患子) は古来、日本の暮らしに寄り添ってきた植物です。漢字表記の「無患子」から「子どもが患(わずら)わ無(な)い」という意味になり、羽根つきの玉や数珠、お守りとしても使われ、邪を破り幸福が訪れることへの祈りが込められ、大切にされてきました。
樹高20mを超える巨木に成長することも
ムクロジは、ムクロジ科ムクロジ属の落葉高木です。東アジア~南アジアの暖地に自生し、日本では、本州(茨城県・新潟県以西)・四国・九州・沖縄諸島に分布。多くは神社や寺院の境内、屋敷林などに植えられます。
樹幹は直立し、樹皮は黄褐色でなめらか。樹高は7~15mほどになり、時には20mを越す巨木に成長します。京都市の浄土宗総本山・知恩院(ちおんいん)のムクロジは樹高20m・幹周4.13m、推定樹齢400年の大樹であり、市の天然記念物に指定されています。
ムクロジの葉は長さ30~50㎝の大形の羽状複葉。互生する7~18㎝の楕円形の小葉が集まり、放射状に広がります。秋には美しい黄葉となり、人々の目を楽しませてくれます。
ムクロジと江戸のシャボン玉売り
花期は6~7月、枝先に淡い黄緑色の径4~5mmほどの小さな5弁花を多く咲かせ、三角コーンのような長さ30㎝ほどの円錐花序(えんすいかじょ)をつくります。
花には雄花と雌花がありますが、一本の木に両方咲く雌雄同株です。蜜源植物としても知られ、開花時にはミツバチが多く集まります。
花が終わると直径2㎝ほどの球形の果実をつけ、10~11月には成熟。果実は透明感のある飴色をしていて、小さな魔法瓶のような可愛らしい特徴的な形をしています。果皮の中には黒くて硬い種子が1個入っています。
果実にはさまざまな利用法がありますが、代表的な用途はやはり「石鹸」。果皮はサポニンを多く含み、水と反応して泡を作る天然の界面活性剤であり、汚れを分解することから古来、洗濯や洗髪に使われてきました。
学名は「Sapindus mukorossi(サピンダス・ムコロッシ)」。属名のサピンダスは、ラテン語の「sapo indicus(インドの石鹸)」が語源。種小名のムコロッシは和名のムクロジから。英名も「Soap nuts(ソープナッツ)」です。
江戸時代後期、本草(ほんぞう)学者の・小野蘭山(おの・らんざん/1729~1810年)の講義をまとめた博物誌『本草綱目啓蒙』が発刊。ムクロジの項では「果実の外皮をシャボンと呼ぶこと、そして油に汚れた布を洗うために用いること」が記載されています。
江戸の町ではシャボン玉売りも流行し、液にはムクロジの粉末などが用いられ、プラスチックストローの代わりに細い竹やアシの茎が使われていたそうです。
羽根突きは「厄をはね返す」おまじない
和名「ムクロジ」の由来には諸説があり、その一つに果実や種子に薬効があることから、漢名の「無患子」に「ムクロシ」の読みを当てて、それが転訛したともいわれます。
お正月には、羽子板で羽根突きをして遊ぶことが日本の古くからの習わしですが、彩色された鮮やかな羽根の根元にある黒い珠が、ムクロジの種子です。
羽根突きは当初、蚊を食べるトンボに羽を見立て、空に突き上げて「厄をはね返す」おまじないとしていたという説もあります。疫病は蚊を媒介として広まることが多いことからでしょうか。
ムクロジの種子は、固い羽子板に当たってもビクともせず、晴れやかにはね返ります。一年の始まりに無病息災を願って行われる祭事にふさわしい縁起物といえるでしょう。
ムクロジはまた、数珠の材料にも使われてきました。その昔お釈迦様は、ムクロジの種を108個つないで数珠にし、弟子たちや如来(にょらい)様たちに配ったという伝説があります。これを常に身に着け、念仏を唱えると戦乱の世は治まり、人々も豊かで幸せな生活ができるようになったのだとか。
ムクロジの象徴は「健康」「浄化」「信仰」
ムクロジには花言葉がないとされることもありますが、「健康」「浄化」「信仰」を象徴します。「健康」「浄化」は、果実が生薬や石鹸の代わりに使われてきたことから生まれました。また「信仰」はお寺や神社と関わりが深いことからでしょう。
俳句の世界では「無患子」は秋の季語。俳人の星野麦丘人(ほしの・ばくきゅうじん/1925~2013年)に、次のような作品があります。
深大寺は東京都調布市にある古刹です。本堂の右手に植えられたムクロジが有名で、晩秋になると果実は黄褐色に熟して落ち、参拝者が拾う姿も見られます。この句を口ずさむと、そこにいなくてもしっとりと雨に濡れたムクロジの木の下で、一人佇んでいるような気がします。「雨」のリフレインが静謐な詩情を生み、浄化と祈り、そしてどこか哀切な美しさが深い余韻となって胸に広がっていくようです。
ムクロジ(無患子)
学名: Sapindus mukorossi
英名:Soap nuts
ムクロジ科ムクロジ属の落葉高木。東アジア~南アジアの暖地に自生。日本では、本州以西・四国・九州・沖縄諸島に分布。花期は6~7月、淡い黄緑色の径4~5mmほどの5弁花を多く咲かせ、30㎝ほどの円錐花序をつくる。果期は10~11月。飴色の果皮の中には黒くて硬い種子が1個含む。果皮は石鹸の代わりとなり、種子は羽根突きの玉、数珠、お守りなどに使われる。

森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
