こんにちは。科学ジャーナリストの柴田佳秀です。
猛暑が収まる9月は、海岸の干潟へ出かけるのが楽しみな季節です。私がよく行くのは、東京湾の千葉県船橋市にある通称「三番瀬」と呼ばれる人工的に作られた干潟。ここには、渡りの途中に立ち寄る鳥や、そのまま冬を越す鳥たちがたくさんやってくる、関東有数のバードウォッチングポイントなんです。
先日、心地よい潮風に吹かれながら鳥を見ていると、遠くの波打ち際に真っ黒な体に赤い嘴の鳥を見つけました。今回紹介するミヤコドリです。
ミヤコドリは、全長45cmのミヤコドリ科の水鳥です。世界中の海岸に12種の仲間がいて、そのうちの1種であるミヤコドリが日本で見られます。嘴と脚、目が赤く、体は白黒で、オスとメスで違いはありません。「ピューイ、ピュッピュッ」と口笛の様な可愛らしい声で鳴きます。日本には、春と秋に立ち寄る旅鳥と、そのまま冬を越すものがいて、地域によって生息状況は異なります。三番瀬は、日本有数のミヤコドリの越冬地として知られ、300羽近くがひと冬を過ごします。
長い間、日本のミヤコドリがどこで子育てをしているのかはわかっていませんでした。ところが2019年、ロシア・カムチャツカ半島で生まれたヒナに標識をつけたところ、その鳥が三番瀬と愛知県で見つかり、繁殖地が判明しました。日本のミヤコドリの生まれ故郷は、カムチャツカだったのです。
ミヤコドリの英名はOystercatcher(オイスターキャッチャー)といい、貝のカキを食べる習性から名づけられました。ただ、カキばかりを食べているわけではありません。さまざまな二枚貝やゴカイなども食べています。赤くて長い嘴は左右がとても薄く、二枚貝の殻の隙間に差し込むことができます。そして、器用に貝柱を切断して殻を開け、中身を食べてしまうのです。
この鳥は、かつて日本ではとても数が少なく、出会うのがなかなか難しい珍鳥でした。しかし、近年は越冬する個体数が増え、特定の場所へ行けば見られる鳥になりました。その1つが、今回紹介した三番瀬です。ここにはアサリやバカガイ、マテガイなどの二枚貝が豊富にいるため、それを目当てにミヤコドリが定着したのでしょう。
さて、ミヤコドリという名前を聞いたときに、ユリカモメを思い浮かべた方がいらっしゃるかもしれません。というのも、『伊勢物語』に登場する都鳥は、「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる」と書かれおり、この特徴からユリカモメであるというのが定説となっています。じつは古典文学に登場する「都鳥」の正体は古くからずっと議論になっており、江戸時代には貝原益軒の『大和本草』や北野鞠塢の『都鳥考』、昭和時代には熊谷三郎の『都鳥新考』などで検証が行われていて、現在ではユリカモメとする説が一般的です。しかし、今回の主人公である黒い鳥のミヤコドリの名前の由来については、大和本草や都鳥新考では少し触れられてはいますが、ほとんど取り上げられていないのです。
今回、この文章を書くに当たって私もいろいろと調べてみました。すると少し興味深いことがわかってきました。貝原益軒が1703年に藩主へ献上した『筑前国続風土記』には、嘴と脚が赤く、白黒の体をした「都鳥」が記されています。さらに、1738年に江戸幕府へ献上された『筑前国産物絵図帳』の控え本を調べてみると、「みやこ鳥」と名前が添えられた、現在のミヤコドリそのものといってよい鳥の絵が描かれていました。つまり、遅くとも江戸時代前期の筑前では、この鳥がすでに「みやこどり」と呼ばれていたことがわかります。
その後、1922年に刊行された『日本鳥類目録』初版でも「ミヤコドリ」が正式な和名として採用され、現在まで使われているのです。
しかし、まだ解けていない最大の謎がひとつあります。それは、なぜ筑前の人々が、この鳥を「みやこどり」と呼んだのかということです。『伊勢物語』の都鳥にちなんで名づけたのか、それとも別の由来があるのか。残念ながら、そこまでさかのぼる資料は見つけることができませんでした。謎は深まる一方ですが、この探求の旅はこれからも続けていきたいと思います。

柴田佳秀
科学ジャーナリスト・サイエンスライター
東京都出身、千葉県在住。元テレビ自然番組ディレクター。
野鳥観察は小学生からで大学では昆虫学を専攻。鳥類が得意だが生きものならばジャンルは問わない。
冬鳥が続々とやってくる秋が好き。日本鳥学会会員。
