元来、農業で生活していた日本人にとって、季節は大変重要な情報でした。
このページでは、月や太陽、季節や自然を意識した生活をし、本来日本人が持っている心豊かな気持ちを取り戻すためのヒントをお届けします。
シモバシラ
飴細工のような氷の花をご存知でしょうか。植物の根から吸い上げられた水分が、立ち枯れた茎の裂け目からしみだし、氷点下の空気に触れることでできる不思議な現象です。2月頃まで、夜の気温が下がった日の早朝にみられます。昼頃には消えてしまう自然の造形が織りなす一瞬の芸術、まさしく「真冬の花」です。
この氷の花ができることで知られる植物の名前が、シモバシラです。秋に白い花を咲かせるシソ科の日本特産種で、別名は雪寄草。学名のkeisukea japonica は幕末から明治に活躍し、日本初の理学博士となった植物学者、伊藤圭介氏の名前がつけられています。同じような氷柱の現象は他の植物にもみられますが、茎は枯れているようにみえても、根は活動を続けている多年草に限られ、雨や雪が降っているときや、強風が吹いているときはみられないそうです。静かで、冷たい朝に起きる神秘は、冬枯れたようにみえる大地の息吹そのもの。氷の花にはどうも妖精が宿っているようにおもえてなりません。
「もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」
レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』/新潮社版
目白押し
裸木になった枝にとまる鳥の姿が見つけやすくなりました。日頃は用心深く、すばしこい小さな鳥達をようやく目にすることができる季節でもあります。寒禽(かんきん)は留鳥、渡り鳥の区別なく、冬の小鳥を総称する季語で、俳諧では「かじけ鳥」として詠まれます。
かじけ鳥はかじかんでいる様子だけではなく、寒さの中でもたくましく、生き生きとしている様子も含むようです。丸々とふくらんだ「ふくら雀」は紋様としてもおなじみですが、今でもよく使う「目白押し」という言葉も、秋から冬にかけて群れを作るメジロが押し合いへし合いしながら枝に並んで止まる様子から生まれた言葉だそうです。なんとも愛らしい姿です。餌の少ない時期を耐えしのんで、春を待つ小鳥たち。雪解けの地面をしきりにつついている姿をみかけますが、実際には多くの小鳥が冬の間に命を落とすことになります。
冬木立
冬の景色の楽しみは、木々の枝ぶりです。夏の間は鬱蒼とした葉に覆われていた木々もすっかり葉を落とし、それぞれの持つ枝の形がはっきりとわかります。毎年のことながら、この木はこんな形をしていたのかと、あらためて気づかされます。午後になると南に低く回った陽射しを受けて、地面に長く映る影にも枝の美しさを感じます。林道や並木道は見事なまだら模様になってみえます。
なかでも流れるように空へ向って伸びるけやきの枝は、人の心もこうでなければと思わせる美しさです。同じ法則性を持ちながら、どれひとつとして同じものがないということに感動を覚えます。けやきの語源は、際立っている、秀でて素晴らしいことを意味する「けやけし」だといわれています。材質が固く、木目も美しい貴重な建材であったからでしょうか。それとも大きくそびえ立つ姿が見事であったからでしょうか。
寒月の細い月が見え始めました。骨にしみ入るような寒さ。まさしく寒の内の今頃でしょうか。
熊(くま)
私が好きな七十二候のひとつに「熊、穴にこもる」があります。七十二候は「桜の花が咲き始める」「南から燕が飛んでくる」など、実際に身近にあって見ることができるものが多いのですが、熊が眠りにつくところを人間が目にすることは決してできないでしょう。熊だけでなく、リスやヤマネなど多くの動物が眠りにつくことも想像できる一候です。
「もののあはれとは命の儚さや愛おしさを知ること」と本居宣長は説きました。それは自分だけの解釈に限らず、相手の身になれる共感能力や、目に見えないものを思いやる大和心に通じているようにおもいます。循環する命のつながりは、想像することなしに感じることはできません。「熊穴に入る」は初冬の季語、「熊穴を出ず」は仲春の季語ですが、単に「熊」といえば、活動期の夏ではなく、冬の季語になっています。
あくまで想像するしかないことですが、母熊の出産は1月頃だそうです。穴の中で子育てをして、春になると子供を連れて、穴から出てきます。小熊が十分動けるようになってから出てくるので、母熊はオスよりも半月ほど長く冬ごもりするそうです。熊の子供は今頃、あたたかいお母さんのお腹の上で、順調に育っているでしょうか。そんなことを考えて、心をあたためています。