元来、農業で生活していた日本人にとって、季節は大変重要な情報でした。
このページでは、月や太陽、季節や自然を意識した生活をし、本来日本人が持っている心豊かな気持ちを取り戻すためのヒントをお届けします。
土用の鰻
土用の期間に入りました。土用は立春、立夏、立秋、立冬の前十八日間をさします。土用はそれぞれの季節の変わり目を意味し、土の氣が盛んになるとされています。土は季節の循環と促進を司るという、陰陽五行に基づいた考え方です。井戸を掘ってはいけないなどの言い伝えもあり、季節の変わり目にムリをせず、養生することを教えていたようです。今は夏の土用だけが認識されていますが、本来は各季節にあります。
江戸時代は、うどん、梅干し、瓜など、うのつくものを食べるとされていましたが、鰻を食べることが定着したのは、夏に売れない鰻屋に頼まれた平賀源内のアイデアだとされています。本来、鰻の脂が乗るのは冬で、夏が旬ではなかったのですが、ビタミン豊富な鰻が夏バテ防止に最適な食べ物としてすっかり定着しています。やがて蒲焼きは「江戸前」を代表する高級料理になり、平賀源内より三十年後に生まれた山東京伝は「蒲焼店の芬々(ふんぷん)たるにハ観音の鼻も襲ふべし」と、人々の食欲をたまらなくそそった香りを、なんともユーモラスに描いています。
鰻の価格が高騰しているのはご存知の通り。養殖といえども、天然の稚魚を捕獲するしかないニホンウナギは長年の乱獲が続いて、稚魚の漁獲量が50年前の23分の1に減少し、ついに今年、環境省はニホンウナギを絶滅危惧種に指定しました。
都内には今でも多くの鰻屋さんがあり、江戸の名残りを伝えていますし、元々、鰻はハレの日の食べ物だったのです。スーパーなどに大量に出回るようになったのは20年前から。そのままでは美味しくない鰻を薄く開き、蒸したり、上手に火入れをすることでふっくらと仕上げる技術は、長い伝統の中で育まれた見事な技ですが、産卵に向かう親ウナギがこれ以上少なくなることを懸念して、天然ウナギを使わない決断をした鰻屋さんもあるようです。
鰻登りという言葉は、鰻を手でつかまえようとすると、するりするりと抜けて、上へ上へと登ろうとする様子からきています。鰻の価格もどんどん上がっていますが、鰻の稚魚を乱獲し、大量生産、大量消費しようとする人間の思惑は、間違っていたのです。鰻は高級なものであり、昔のように特別な日の大切な食べ物になることが、鰻を守ることになるのかもしれません。そうでなければ、本当に絶滅する日がやってくるでしょう。
ところで、江戸時代の料理本『豆腐百珍』には、すでに鰻もどきが掲載されています。水切りした豆腐に山芋と小麦粉を混ぜ、海苔の上に塗って油で揚げます。それをタレの煮汁につけて焼くと出来上がり。海苔がちょうど鰻の黒い皮のようになります。昔の人も、鰻を食べるかわりにいろいろ工夫していたようです。
初蝉と梅干し
梅雨明けの猛暑とともに、セミが鳴き始めました。今鳴いている蝉は、何年前に生まれた卵なのでしょうか。初蝉の声はどこか懐かしく、ようやく地上に出てきたことを、思わずにはいられません。蝉は大事な生き物指標です。蝉が幼虫で過ごす期間は3年〜7年とさまざまなようですが、今年も順調に命がつながれていくことを祈ります。
この季節は、虫干しの好機です。各能楽堂では虫干しの風習を守って、衣装を広げて風を通したり、修繕を行います。近年は一般に公開しているところも多く、日頃は舞台上でしか見ることができない能衣装を、間近に拝見することができます。絹の着物は箪笥にしまいこんでいると、糸が痩せて生地が傷んでしまいますが、風にあてて湿気をとると、息を吹き返したように元気を取り戻します。天然繊維はやはり生きて呼吸しているのだと感じます。
今年は炎暑が続いた小暑の頃に、梅干しを完成させました。あっという間に乾いて出来上がり、早速いただいています。クエン酸が豊富で、夏バテや熱中症予防に効力を発揮してくれる梅干し。ものがもっとも腐りやすい雨期に実り、夏本番を迎える頃には強力な殺菌力を持つ食べ物になるのですから、日本人の知恵は見事なものだとあらためておもいます。
写真は梅干しの漬け込みの頃に一緒に作った、梅酵素の材料です。梅がメインですが、ビワ、サクランボ、イチゴ、伊予柑や甘夏などの柑橘類、スイカ、プチトマトなどを混ぜて作りました。なるべく多種類で作るとよいそうです。砂糖をまぶして、1週間ほど手の常在菌を使って混ぜると、出来上がり。発酵して茶色の液体になります。
鷹
七十二候の「鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)」は、小暑の末候で7月18日頃にあたります。初夏を迎える和暦の卯月(現在の5月頃)は別名、鳥待月、鳥来月ともいい、新緑の若葉とともに、さまざまな鳥たちが高らかに美しくさえずり、繁殖期を迎えますが、小さな鳥達の抱卵期は短く、あっという間に巣立ってゆきます。
たとえばメジロの産卵期は5月頃ですが、抱卵期は11日〜12日、巣立ちまでの日数も11日〜12日で、産卵から巣立ちまでわずか22〜24日程度です。7月〜8月にかけて二度目の巣立ちを迎えることもありますが、巣立った幼鳥は、二度と巣に戻ることはありません。
一方、オオタカの求愛期は早く、1月〜3月には始まっています。そして多くの小鳥たちと同様に4月〜5月頃に産卵しますが、抱卵期は約35〜40日と、孵化までに一ヶ月以上もかかります。さらに巣立ちを迎えるまでに40日間。巣の外に出るようになっても、巣の近くを飛び移りながら少しずつ行動範囲を広げ、1ヶ月以上の間、親鳥とともに行動し、狩りを学んでいきます。親から完全に離れていくのは8月か9月頃。ちょうど今頃からが、巣立ったタカのヒナ達の学習期間にあたります。
昔の人達はこの季節になると、タカの親子が一緒に飛んでいる姿をみかけたでありましょうし、ヒナ達が狩りを学んでいるのだなあと思って、空を見上げたのではないでしょうか。食物連鎖の頂点にいる猛禽類はもともと個体数が少なく、子育てにも時間がかかります。また営巣に適した高い木のある森と、獲物を見つけやすい開けた林や畑、カエルの棲息する田んぼなど、人間の手が入った里山が理想的な環境といわれています。猛禽類は生態系の豊かさを知る指標とされ、絶滅が危惧されている種類が少なくありません。
「鷹乃ち学習(たかすなわちがくしゅうす)」。私は「鷹の雛、飛ぶことをおぼえる」と訳していますが、この候をみると生態系の豊かさを思い出し、身近にみることはできませんが、一羽でも多くヒナが無事に巣立ってくれることを願わずにはいられない気持ちになります。
夏燕
春にやってきた親燕たちも、そろそろ二度目の子育てを終えようとしています。先に巣立った若い燕たちは、自分の親鳥や近所の燕たちの元から二度目の子燕が巣立つと、ヘルパーとして飛び方を教えたり、カラスなどの外敵から襲われないように守る役目を果たすようです。二度目の子供たちは、近所のおねえさんやおにいさん、親戚に守られて育つ、というわけです。
しきりに燕返しをして、空中に飛ぶ虫をつかまえているのでしょう。スイスイと夏の空を泳ぎ回る、その鋭利な飛び方はなんとも清々しく、夏らしさを感じます。燕の声が最近、ますますにぎやかになってきました。燕が次第に数を増していくようにみえるのは、一度目の巣立ちを迎えた若い燕がふえて、集団で過ごすようになることと、子育て中はほとんど鳴かずに、ひたすら餌を運んでいた親燕たちが、子育てを終えて、よくさえずることもあるのでしょう。何を話しているのか、人間が家族や友人たちとおしゃべりをするように、ぺちゃくちゃと、あのね、それでねと、しきりに何か、会話をしています。
巣立った燕は最初の十日ほどは親から餌をもらいますが、自分で餌がとれるようになると、若鳥だけで群れを作り始めるのだそうです。最初は巣の近くで小さな群れを作りますが、次第に大きな群れをなして、電線に止まっていたりします。秋になるとさらに大きな集団となって、芦原でねぐらを作り、秋の渡りのときがくるのを待っています。燕は仲春の季語ですが、夏の間は「夏燕」、秋は「燕帰る」が季語になります。
半夏生と半夏
人の住まなくなった家の庭に、半夏生の花がたくさん咲いていることに気づきました。少し前まではただ緑一色に覆われて、雑草が生い繁っているようにみえていたのですが、ハンゲショウは、花の咲く時期にだけ、葉の上部が真っ白に変わります。ハンゲショウは、ドクダミ科の多年草です。自然に増えたのか、広い庭におおらかに咲いていました。
緑と白のコントラストがいかにも涼し気で、わずかな期間を告げる夏の色に、心が踊ります。葉が白く変化することから、半化粧、片白草とも呼ばれています。楚々とした風情があり、夏の茶花にもよく使われる草花です。葉が白くなるのは虫を呼び寄せるためだそうで、花期がすぎると緑一色に戻ります。
名前が紛らわしいのですが、雑節の「半夏生」は、七十二候の「半夏生ずる」からつけられた暦日で、かつては夏至から11日目にあてられていましたが、現在は黄経100 度を通過する日で、毎年7月2日頃になります。この頃に降る雨は大雨になることが多かったころから、半夏雨(はんげあめ)と呼ばれています。
この場合の半夏(ハンゲ)は、現在も漢方薬に使われているサトイモ科のカラスビシャクです。浦島草に似ていますが、浦島草より小さく、花期も遅く、梅雨どきに咲きます。狐の蝋燭(きつねのろうそく)、蛇の枕(へびのまくら)という別名があるように、なんとも不思議なかたちをしています。雨の中で突然、にょきにょきと細い茎をのばす、その特異な形はわかりやすい目印だったのでしょう。
農事暦は元々、こうした身の回りの自然がつねに連動し、精妙につながり合っている様子を観察することから生まれています。どの花が咲いたら、どの種を蒔くなど、地方によってさまざまな言い伝えがあります。