こんにちは。僧侶でライターの小島です。
さわやかな風が吹きわたり、草木の緑が迫ってくるように感じられるほどいのちの勢い増す季節。毎年この時期になると、我が家の居間にはある1枚の絵が飾られます。
絵のタイトルは「薫風」
描かれているのは、草原を臨む高台に立ち、遠くを見つめる女性の横顔です。広がる草原の緑はみずみずしく、女性の周囲には可憐な花々も。彼女の長く豊かな髪は、細い紐でひとつに結ばれています。たっぷりとしたその髪は重力を無視するように地面から平行に描かれており、女性が風のなかに佇んでいることがわかります。それも少しばかり強い風のなかに。
絵を一目見るだけで、そこに吹いている風、初夏の薫りを含んだ風の存在を、説明されるまでもなく感じ取ることができます。その風は直接私の頬をなでるわけではないのに。
薫風とは、初夏に新緑のあいだを吹き抜けてくる風のことです。南方からやってくるこの風は、若葉の薫りをまといます。
この薫りにはきちんと正体があって、フィトンチッドという物質によるものだそうです。樹木が自らを守るために発する揮発性物質で、消臭・抗菌・防虫などの効果があるのだとか。リフレッシュ効果も認められており、森林浴はこのフィトンチッドのはたらきを貸してもらうもののようです。
この薫風という漢語は、やがて和語としても採用され「風薫る」という言葉でより広く浸透していきました。薫風が元になっているので、「風香る」ではなく「風薫る」なのです。
風にまつわる言葉は薫風以外にもたくさんあります。これからの季節だと、青々と育つ稲の上を吹き抜ける「青田風」や、梅雨のはじめに吹く南風「黒南風(くろはえ)」が思い浮かびます。ほかにも、初冬に吹く北風の呼び名「木枯らし」などは、非常に馴染み深い言葉ですね。
このように風をあらわす言葉は数多いですが、風そのものは目に見えるものではありません。風に姿形はないのです。けれど、さわさわと揺れる草木の様子、頬をくすぐる感触、障害物にぶつかって発生する風の渦の音、そして風が運んでくる薫り……それらによって、「風が吹いているのだ」と知らされるのです。
目に見えないものも、その作用に目を向ければ存在を感じ取ることができます。
これは、「風」ではなく「自分」に当てはめて考えてみることもできそうです。つまり「私とはこういう人間だ」という思い込みをちょっと手放してみて、いま自分の周囲にある作用、現象に眼を向けてみるということです。自分が取った行動、選んだ言葉、目についた景色、美しいと思うもの、嫌だなと思うもの……それらを出発点として「今の私」という交点をたずねていくと、いつもとは少し違った自分が見えてくるかもしれません。
何はともあれ、ひとまず、頭のなかのあれこれをひとときだけでも忘れて、今日はあなたの側に吹いている風をめいいっぱい吸い込んでみるのはいかがでしょうか。
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