節分は立春の前日、大寒の最後の日であることから「寒ばなれ」といったり、「節替(せちがわり)」と呼んだりする風習もあります。
本来の節分は立春、立夏、立秋、立冬の前日で、年に4回ありますが、立春前の節分は和暦(太陽太陰暦)の正月に近いことから、一年の大きな変わり目として重要視されるようになりました。
豆まきのルーツとなった追儺(ついな)の行事も元々は太陰太陽暦の大晦日に行われていましたが、いつしか節分に変わったものです。
節分は心機一転、溜まった邪気を払い、新しいスタートを切る節目の時として、日本人にとって大事な日となっています。
鬼門は貴門
季節の変わり目である節分は気が乱れやすく、魔が入りやすいときとされていますが、「鬼門」は本来、さまざまな気が入ってくる大事な「気門」です。
不浄にしてはならない「貴門」であり、神々や祖先が通ってくる「喜門」でもあります。入ってくるのは悪霊だけでなく、神々やご先祖様も出入りすると考えられてきたのです。いいものも悪いものも入ってくるので、邪気を払い、福を招くのが「豆まき」という行事です。
豆まきをするときは窓を開け、豆をまいたら急いで窓を閉めるのは、邪気が戻ってこないためだけでなく、福を逃さないためでもあります。
節分の鬼は鬼門の方角が「丑寅(うしとら)」であることから、牛と寅を組み合わせた姿となったもので、ウシの角にトラの牙を生やし、トラ柄のパンツを履いています。
現代において鬼を払う豆まきは子どもたちにとって楽しい行事になっています。どことなくひょうきんで、愛らしい鬼の絵がさまざまに商品化されて福豆と共に売られています。
そもそも鬼とはこの世の者ではない異界の者たちのことですが、疫病や厄災をもたらす悪霊もいる一方、その土地を守っている山の神や精霊たち、そしてご先祖様も鬼の姿になって、人々の生活を守ってくれていると考えられていました。
そのため「鬼は外」ではなく、「福は内、鬼は内」と唱える風習もあります。豆まきでも大人が鬼の役、子どもたちが豆を投げつける役ですね。
東北地方のナマハゲなどもその一例で、「悪い子はいないか」「来年もまたくるからな」などと子どものいる家を回り、優しい声をかけます。これもご先祖様が鬼となった姿ですが、実際には現世を生きる大人たちがそれを演じています。
柊鰯
ところで、鬼の語源は陰(おん)ともいわれ、冬の寒気や邪気をイメージ化したものでもあります。
節分にはまじないとして柊(ひいらぎ)の枝に焼いた鰯(いわし)の頭を刺したものを家の戸口に下げて、邪気を払う風習があります。柊のトゲと鰯の臭気を鬼が嫌うからとされますが、柊は漢字の通り、冬を象徴する樹木であり、門(角)を開く繁栄の象徴、そして鰯は五行の水を代表する魚で、どちらも冬を象徴するものです。
節分は冬の邪気を払い、気分を一新する日。勢いよく悪い気を出して、いい気を入れる日です。豆まきをしなくなった大人たちは、掃除や断捨離をして福を招くのもよいかもしれませんし、豆3粒と梅干しを入れた福茶を飲むのも季節感があって楽しいものです。
追儺のルーツは紀元前の中国に遡りますが、節分は日本独自の文化です。明日はいよいよ立春です。
文責・高月美樹

