春の花で祝う仏さまの誕生
二十四節気は「清明」を迎えました。季節は晩春、百花繚乱の時節です。
四月八日は、お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)の誕生を祝う灌仏会(かんぶつえ)。仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、降誕会(こうたんえ)などとも呼ばれますが、天界を模してたくさんの花々で御堂を飾ることから、「花祭り」の名で広く親しまれています。
お寺の境内には、色とりどりの花で飾られた小さなお堂、「花御堂(はなみどう)」が作られ、その中に誕生仏が安置されます。参拝者は、柄杓で誕生仏の頭上に甘茶を注ぎかけて、お祝いします。
花に囲まれた小さな仏さまは右手で天を、左手で地を指し示す姿をしています。これは生まれたばかりのお釈迦さまが、七歩歩んで天と地を指さし、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言された、という伝説に由来するものです。
「天上天下」とは、宇宙全体のこと。この言葉はしばしば「自分だけが偉い」という意味だと誤解されがちですが、この世に生まれた命は、どれもが他と比べようがない、かけがえのない存在であるという、深い祝福の意味が込められています。
江戸の甘茶と花祭り
誕生仏に注ぐこの甘茶は、お釈迦さまが誕生されたときに天界から降り注いだという「甘露の雨」を模したものです。
江戸時代、この日は町中がお祝いの雰囲気に包まれました。花御堂が設けられたお寺に、子どもたちは竹筒を持って甘茶をもらいに集まります。
甘茶の原料は、ヤマアジサイの変種である「アマチャ」の若い葉です。これを発酵・乾燥させることで、砂糖のような天然の甘みが生まれます。砂糖がまだ貴重だった時代、甘茶をいただくことは、子どもたちにとって特別な楽しみでもありました。
家に持ち帰った甘茶を硯に入れて墨をすり、「字が上手になるように」と願って習字をする風習もありました。また、神下がりのお茶にあやかり、「ちはやぶる卯月八日の吉日よ かみさげ虫を成敗ぞする」と書いて逆さに貼る、虫除けのまじないも伝えられています。
卯月八日は、まさに季節が大きく動き出す節目の日でもあったのです。
甘茶はノンカフェインで体に優しく、子どもでも安心して飲めるお茶です。風邪や喉の痛みに効く民間薬として重宝された実用的な側面も、「甘いお茶」が灌仏会とともに広まった理由のひとつともいわれています。
「灌(かん)」は水を注ぐことで、日本では推古天皇の時代にすでに灌仏会の記録が見られますが、「花祭り」という呼称が定着したのは明治から大正にかけてのことです。
江戸時代から子どもたちにとって楽しみな日であったこともあり、現在は稚児行列など子どもの健やかな成長を願う行事として受け継がれています。
ルンビニの花園と甘露の雨
お釈迦さまが生まれたのは、ネパール南部のルンビニという村です。摩耶夫人が出産のために実家に帰る途中に立ち寄ったのどかな村で、そこは鳥がさえずり、色とりどりの花が咲き誇る、清らかな花園であったと伝えられています。諸説ありますが、紀元前6世紀頃だったと推測されています。
伝説によれば、お釈迦さまが誕生された瞬間、天からは甘い香りの「甘露の雨」が降り注ぎ、大地からは美しい蓮の花が湧き出したといいます。花祭りの「花御堂」は、まさにこのルンビニの光景を再現したものです。
釈迦の生誕地は長い間、歴史の中に埋もれていましたが、19世紀、アショーカ王の碑文が発見されたことによって、再び注目を集めました。紀元前3世紀頃、敬虔な仏教徒であったアショーカ王がこの地を訪れ、生誕地ゆえこの地を免税としたことが記されていたのです。
ルンビニは現在、仏教の重要な聖地として、世界遺産に登録されています。
ルンビニの花園を模した花々で御堂を飾り、甘茶をいただきながら、静かに春の盛りを味わうひととき。花祭りは今も、変わらぬかたちで人々の心に安らぎを届けています。
天道花・仏教以前の「花祭り」
一方で、現在の四月八日の行事とは別に、日本にははるか昔から続く「花祭り」がありました。
日本では古くから春になると山の神が里へ下りて田の神となり、稲作を守ると考えられていました。四月八日は、その神を迎える節目の日だったのです。
山に花が咲き乱れる卯月の別名は、卯の花月(うのはなづき)、鳥来月(とりくづき)。いわば「花と鳥の月」であり、田植えが始まる月でもありました。
人々は種まきなど農作業が始まるこの時期に山へ入り、ウツギ、ツツジ、シャクナゲ、フジ、ヤマブキなど、山に咲く花を採ってきて高い竿の先に立て、山の神を迎えるための瑞々しい依代(よりしろ)として、家の軒先に供えたのです。
こうした花は「天道花(てんとうばな)」、「八日花(ようかばな)」、あるいは「高花(たかはな)」と呼びます。
重なり合う花祭り
やがて仏教が広まると、四月八日の行事は灌仏会と結びつき、花御堂を花で飾る花祭りへと変化していったと考えられています。
「花祭り」の背景には、農作業のために自然界の神々を招き入れるという、日本独自の素朴な信仰がとけ合っています。
天道花の風習は旧暦の四月八日なので、現在の5月初旬にあたります。そのため鯉のぼりの先につける龍玉と習合して、姿を消していったともいわれています。
一方、灌仏会としての花祭りは新暦の四月八日に行われるところがほとんどです。もともと釈迦の誕生日はインド暦の二月十五日なのですが、それは現在の四月から五月頃にあたります。
そのため中国暦に置き換えられた際に四月八日とされ、日本にもその日付が受け継がれてきました。お寺によっては五月に行うところもあります。
そのようにして受け継がれてきた花祭りには、天から降り注ぐ甘露の雨と、山から届く花の生命力が重なり合っています。
山の神と水口祭り
山から迎えた花を依代とし、神様とともに里へ下りる。そのもうひとつの祈りが形となったものが「水口祭り」です。
田に水を引く入り口である「水口」に、山から持ち帰ったツツジやシャクナゲなどの花を挿し、焼米などの供え物をして、これからの稲作の無事と豊作を祈ります。このとき挿される花は「苗印(なえじるし)」とも呼ばれ、水が満ち、いよいよ田が命を育む準備が整ったことの徴(しるし)でもありました。
昔の人々にとって花はこれから始まる農耕の日々を、神様とともに歩み出すための道しるべでもあったのです。
水田の水は山の神が宿った花の霊力で清められながら、ゆっくりと田に満たされていきます。
仏教と白い象
花祭りの稚児行列などで、白い象の模型を引く姿を見かけることがあります。白い象の背に花御堂が設けられることもあり、大きな白い象と花の組み合わせは、子どもたちの心を惹きつける楽しい光景です。
白い象は、お釈迦さまの母である摩耶夫人が身籠る前日、六牙の白い象が右脇から体内に入る不思議な夢を見た、という伝説に基づいています。
仏教において白い象は、「清らかさ」「穏やかさ」「力強さ」を合わせ持ち、仏法を守護する神聖な存在であり、偉大な人の到来を告げる吉祥のしるしとされてきました。
象を一度も見たことがない昔の日本人にとって、麒麟や鳳凰のような霊獣として認識されていたことでしょう。白い象は普賢菩薩の乗り物としても知られています。
普賢象という桜
この白い象の名を冠した「普賢象(フゲンゾウ)」という桜があります。室町時代から名桜として知られる古品種で、ふんわりとした大輪の八重咲きの桜です。
花芯から長く伸びる二本の雌しべが、普賢菩薩が乗っている白い象の鼻に似ていることから、「普賢象」と名づけられています。花期はちょうどこれから。もし見かけたら、花の中心に宿る小さな「象の鼻」を確かめてみてください。
グレーがかった淡いピンクの花びらは、うっとりとするほど華やかでありながら、どこか神秘的な静けさをたたえています。
「清明」という言葉の通り、清らかで明るい晩春。次々と咲く八重桜は、まさに天上界の安らぎを地上に運んできてくれるかのようです。
花に宿る霊性
日本人にとって花は、単なる観賞の対象ではありませんでした。時に神や祖先をお迎えする依代となる、「霊性」を宿したものとして見つめてきたのです。
昔の人々が山に咲く花に神を感じてきたように、私たちが花の中に宿るものを見つめれば、一瞬にして自身の中にある聖なるもの、清らかさに触れることができます。
花祭りは、ただ仏さまの誕生日を祝う日ではなく、この世界に満ちているあらゆる「いのち」を祝福する日でもあります。仏教の宗派を問わず、どのお寺でも行われる、すべての人に開かれた祝祭なのです。
キリストの生誕を祝うクリスマスのように、春の行事として親しまれていくことをひそかに願っています。
日本の花祭りには、天と地、そして人と自然が調和する、春の最も純粋な祈りの形が凝縮されています。
花を通して、内なる仏性と出会う
晩春は次々に花が咲き、鳥が歌い、あらゆる命が活発に動き出す季節です。人もまた、その大きな生命の流れの中にいます。
花は、ただ咲いているだけです。けれどその姿を見て「美しい」と感じるとき、私たちは自分の中にも仏性があることに、自然に気づかされます。
お釈迦さまの言葉とされる「天上天下唯我独尊」が伝えているように、ひとりひとりの中に仏性があり、等しく尊い存在です。
この世に生まれてきた自分自身のいのちにも、そっと甘茶をかけるような慈しみの気持ちを持って、花のいのちを見つめてみてください。その花の美しさを感じることは、自分の中にある仏性と出会うことでもあるのです。
文責・高月美樹

