染織家の吉岡更紗です。朱色、紅、古代紫、葡萄色、藍色、萌黄色…日本では様々な美しい色の名前がつけられてきました。今回は、「鈍色(にびいろ)」についてご紹介致します。
赤く、黄色く、美しく色づいた葉も冬が深まるにつれ、次々と落葉し、工房に植えられた落葉樹の木々も枝を残すのみとなりました。毎朝、庭掃除をしていると落葉した葉の量が日を追うごとに減ってきて、ありがたいような、そしてやや淋しいような気持ちになります。
京都は、三方山に囲まれた盆地なので底冷えする寒冷な地域なのですが、寒くなればなるほど空気が澄み渡っていくような印象があり、冬晴れの日の空の色はより美しく感じます。
また、鴨川にかかる橋を渡りながら北の方角を見ると、鞍馬山や貴船のあたりなど北山の山並みが見え、それぞれの山の峰が重なりあっている稜線が、鈍色のグラデーションのような美しい景色に出合います。時には太陽の光が差し込んだり、もしくは雲がかかったり、山によっては雪が積もっている様子が見えたりと、無彩色ながらも、その色相が幾層にも重なる美しい様は冬ならではの情景です。
さて、「鈍色」とは、出家をした時、もしくは喪に服すときに着用した色で、その亡くなった人との関係が近ければ近いほど濃い色を着たといわれています。現代でも喪に服す際は黒色の衣装を着ますが、それは平安時代の皇族、貴族も同じでした。
このような黒系の色に染めるには、矢車附子(やしゃぶし)や、檳榔樹(びんろうじゅ)、団栗(どんぐり)などのタンニン酸を含む染料を使います。それらを煎じて抽出した液体は茶系の色をしていますが、鉄分を使って媒染(ばいせん)すると、色合いが鈍くなり、今で言うグレーや黒へと発色します。その濃度や回数によって淡い色から濃い鈍色まで染め分けることができるのです。
「鈍」という字は、刀が錆びて切れが鈍くなったという意味をもっています。媒染剤として使う鉄分は、錆びたり焼いたりした状態の釘や鉄くずを、お粥の中に入れて酸化させた「鉄漿(かね)」と呼ばれるものです。別名は「お歯黒鉄」ともいい、女性が歯を黒く染めるのにも使われていました。五倍子(ごばいし)というウルシ科の木にできた瘤からとったタンニンが含まれる粉を歯に塗り、その上から鉄漿を重ねることによって黒く発色させていました。
『源氏物語』「葵」の帖で、光源氏の正妻葵の上が息子の夕霧を出産した直後に、六条御息所の生霊にとりつかれて亡くなってしまいます。光源氏は「にばめる御衣」を纏い喪に服します。しばらく左大臣邸に留まりますが、やがて去る時に、三十人ほどの女房達が「濃き薄き鈍色どもを着つつ、皆いみじう心細げにて」涙に暮れているのを見ます。お世話をしている女房達も親密度や身分に応じて鈍色の濃さを変えていたのでしょうか。
やがて六条御息所から弔問の手紙が光源氏の元に届きますが、それは「濃き青鈍の紙なる文」で、藍色に鈍色をかけたもので、光源氏からの返事は「紫のにばめる紙」にかかれ、やはり紫の紙を「にばめる」つまり「鈍らせた」紙が使われたと書かれています。底色は藍や紫など別の色で染められているが、そこに鈍色を重ねて染めて、お悔みや喪に服す気持ちを表していたのです。

吉岡更紗
染織家・染司よしおか6代目
京都市生まれ、京都市在住。紫根、紅花、藍などすべて自然界に存在する染料で古法に倣い染織を行う「染司よしおか」の6代目。東大寺二月堂修二会や薬師寺花会式など古社寺の行事に染和紙を納める仕事もしているため、冬から春にかけてが一番好きな季節。美しい日本の色を生み出すために、日々研鑽を積む。
