こんにちは。
俳人の森乃おとです。
立夏に入り、新緑の美しい季節となりました。庭先には小柄なキク科の植物が、気品ある青紫色の花を咲かせています。その名もゆかしいミヤコワスレ(都忘れ)の花は、古くから茶花や庭植えの花として愛でられ、日本人にはとりわけなじみの深い植物の一つです。
山野草のミヤマヨメナが原種
「ミヤコワスレ」は、ミヤマヨメナ(深山嫁菜)を原種として、江戸時代からさかんに育成された園芸種の和名です。
ミヤマヨメナはキク科シオン属の多年草で、本州から九州の山地に自生します。道端やあぜ道などで普通にみられるヨメナ(嫁菜)に対し、深山に生えることから名づけられました。草丈は20~50㎝ほど。4~6月に花茎を垂直に伸ばし、枝分かれした先端に1個ずつ径4㎝程度の頭花をつけます。そしてキク科の植物の特徴で、中心部の黄色い筒状花の集まりを、1枚の花弁のように見える10~15枚の舌状花が取り巻きます。
ミヤマヨメナの花の基本色は淡い青紫を帯びた白色ですが、現代では品種改良により青や紫、ピンクなど、さまざまな花色が生み出されています。
「都忘れ」という美しい名前は、佐渡島に伝わる順徳上皇の伝説にちなみます。
順徳上皇(1197-1242年)は後鳥羽上皇の第3皇子で、鎌倉時代の第84代天皇(在位1210-1221年)。
1221(承久3)年に父である後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府に対して挙兵し、大敗。当時20代の青年だった順徳上皇は佐渡島に配流され、そこで生涯を終えることになります。ちなみに首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島に、兄の土御門上皇は土佐国へ配流。この戦いは「承久の乱」と呼ばれ、貴族政治から武家政権への転換を決定づけました。
佐渡に流された順徳上皇は毎日、都のあれこれを恋しく思って悲嘆に暮れていましたが、この地に咲く可憐な白い野菊に目をとめ、心を慰められました。菊は皇室のシンボルであり、とりわけ白菊は父帝が愛した花です。順徳上皇は、その花を住まいの周辺に植え、「都忘れ」と名付けて、慈しんだといいます。
順徳上皇の御製と伝わる「いかにして――」の歌の意味は、
「なんという巡り合わせなのだろうか。父の愛した白菊を『都忘れ』と名付けてみても、悲しい心は晴れないままだ」――。
順徳上皇は大歌人・藤原定家の弟子でもあり、歌の才能でも知られていました。断ちがたい望郷の思いと父帝への慕情を胸に抱き、上皇は島を出られないまま20年後に崩御します。
ところで、上皇が白い菊を見つけたのは秋の日と伝えられています。ミヤマヨメナは春から夏にかけて咲きますので、もしかして上皇の「都忘れ」の花は現在のものとは違う花だったのかもしれません。
ミヤコワスレの花言葉は、「しばしの別れ」「また逢う日まで」「憂いを忘れる」です。いずれも順徳上皇の伝説が由来となっています。
歌人・鳥海昭子の短歌は、ミヤコワスレの紫色の花を眺めていたら、忘れていた人の面影が鮮明に浮かび上がってきて、思わず歩けなくなってしまったという心象を詠っています。
ミヤコワスレが咲く5月は、さわやかな陽光に満ちた美しい季節です。だからこそ別れの悲しみが尾を引き、時には歩けなくなってしまうほどにまでなってしまうのでしょう。
一方、「忘るべき 人ある 都忘れかな」と詠んだのは俳人の上田五千石(うえだ・ごせんごく/1933-1997年)。忘れなくてはならず、そうでなければ生きていけないほどなのに、それでもやはり忘れられない――。そんな慟哭の思いが伝わってくるようです。
けれども、やがて人は立ち上がり、前を向いて歩きだすもの。忘れえぬ遠い昔の空の色を浮かべたミヤコワスレに「きっとまた逢おう」と約束を託し、そしてまた新しい出会いと別れを繰り返すのです。
ミヤコワスレ(都忘れ)
学名:Aster savatieri
英名:Miyakowasure
キク科シオン属の多年草。日本固有の園芸種で、本州から九州の山地に自生する野生種「ミヤマヨメナ(深山嫁菜)」から品種改良された。花期は4~6月で、草丈は20~50㎝。花色は白、薄紫、青。野生種の花色は、淡い青紫色を帯びた白色だが、ミヤコワスレの花は青や紫、ピンクなどさまざま。
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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