散る桜の名残のごとく、サクラソウ(桜草)がピンクや白の花を咲かせる頃、ヨーロッパでも同じサクラソウ属のカウスリップが雪解けの地より顔を出し、いかにも幸福そうな黄色い花で春の訪れを告げます。和名はキバナノクリンザクラ(黄花九輪桜)。ヨーロッパでは春の野を象徴する薬用・食用ハーブとして古来親しまれ、絵画や児童文学、詩歌などにも多く登場する、なじみ深い花の一つです。
英名は古英語で “牛の糞”
カウスリップは、サクラソウ科サクラソウ属の耐寒性多年草で、西南アジア~ヨーロッパ原産。低地からおおよそ標高3000mまでの草原や高原に広く分布します。
カウスリップの学名はPrimula veris(プリムラ・べリス)。属名のPrimulaはラテン語で「最初の」、種小名のverisは「春」を意味し、春一番に咲く花であることに由来します。
花期は4~6月。ロゼット状に根生する楕円形の葉の中心から、10~20㎝の花茎を伸ばし、その頂点に10~30個の細いラッパ型の黄色い小花を、下向きに放射状に咲かせます。その先端は5裂して、正面からは径2~3㎝の5弁花のように見えます。甘い香りを放ち、中央部にオレンジ色の斑紋があります。葉は表面にしわが寄り、長さ5~10㎝。
和名のキバナノクリンザクラは、同属で紅紫色の花をつけるクリンソウ(九輪草)に似ていることから。「九輪」とは仏塔の頂上にある飾りです。
また、英名のカウスリップ(Cowslip)は、古英語のcu-slyppe(牛糞)が語源。牧草地に多く生え、牛のいる田舎ならばどこにでも咲いていることから名づけられたのだとか。ただし牛はカウスリップを食べず、糞と一緒に種がまき散らされることはありません。
現在では自生数減少で「自然保護植物」に
カウスリップは、古くから鎮静作用のある薬草として利用されてきました。若葉も花もサラダとして食べられ、特にイギリスでは春の行事として自家製のカウスリップワインを楽しむ風習があります。カウスリップワインはたくさんの花を摘んでシロップにし、それを発酵させた飲み物です。
イギリスの作家、ビアトリクス・ポター(1866~1943年)による絵本「ピーターラビット」シリーズの中にも、 ウサギの奥さんがカウスリップワインをつくる場面が登場します。
また子どもたちは、カウスリップの花をまるめて花玉(カウスリップボール)をつくり、投げ合って遊んだそうです。そして結婚前の若い娘は、カウスリップボールを放り上げ、地面に落ちる前に口にした名前の男性が未来の夫になるという占いもありました。
現在では、ヨーロッパ各地で宅地開発や除草剤の影響、あるいは過剰な採取などにより、カウスリップの自生数が減少。国によっては自然保護植物に指定され、私有地以外での採取は法律で禁止されています。
カウスリップは「鍵の花」「妖精の花」
カウスリップの放射状に吊り下がる花房は、横から見ると鍵束を連想させます。そのため「Key flower(鍵の花)」「Key of heaven(天国の鍵)」の別称があります。
北欧神話では、カウスリップは美と豊穣の女神フレイヤに捧げられる植物であり、フレイヤの所有する宝殿の鍵を開く力があると信じられました。中世ヨーロッパにおいては、地下に隠された秘宝の錠前を破壊する「魔法の植物」であり、キリスト教圏では、天国の鍵だと考えられました。イエス・キリストから天国の鍵を預けられた聖ペトロが、誤って鍵束を地上に落としてしまい、その場所からカウスリップが生えたとも語られます。
またイギリスでは「Fairy-cups(妖精の杯)」の名で呼ばれ、妖精の隠れ家だと言い伝えられました。カウスリップの花の内側にある5つのオレンジ色の斑点は、妖精が指で触った跡であり、不思議な魔力を持つのだそうです。
劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616年)は、喜劇『夏の夜の夢』に登場する妖精の台詞として、カウスリップを
と、描写しています。
「プリムラ」とは、ヨーロッパやアジアに自生するサクラソウ属を交配した園芸種の総称。日本に自生するニホンサクラソウに対して、セイヨウサクラソウともいいます。カウスリップはその代表種「プリムラ・ポリアンサ」の原種となりました。
掲句の作者である阿部みどり女は、長谷川かな女や杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人。瞬く星の光に呼応するプリムラの種類は分かりませんが、まだ見ぬ遠い故郷に想いを馳せる、カウスリップの血を受け継ぐポリアンサだったのかもしれません。
さて、カウスリップの花言葉は「豊かさに恵まれる」「青春の始まりと悲しみ」。
「豊かさ……」は、宝物庫の扉を開ける幸運の鍵の連想から。「青春の…」はうつむき気味に咲く様子から生まれました。青春とは、輝かしいばかりではなく傷つきやすく、悲しみの始まりでもあるのです。
カウスリップ
学名:Primula veris
英名:Cowslip, Key flower,Key of heaven
和名:キバナノクリンザクラ(黄花九輪桜)
サクラソウ科サクラソウ属の多年草で、ヨーロッパ~西アジア原産。花期は4~6月。伸ばした花茎の頂点に10~30個ほどの細いラッパ型の黄色い小花を、下向きに放射状に咲かせる。甘い香りを放ち、中央部にオレンジ色の斑紋がある。

森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
