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梅シロップ

旬のもの 2025.05.27

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こんにちは、料理人の庄本彩美です。今日は「梅シロップ」のお話です。

夏になると実家の台所では、いつの間にか赤い蓋の重たいガラスの保存瓶が鎮座していた。中身は、母が作った淡い琥珀色の梅シロップ。
ふっくらとした梅の実が、特に好きだった。

瓶の底に沈む梅を取り出すのは、子どもの私には少し難しかった。レードルで追いかけるのだが、つるりつるりと逃げてしまう。それでも諦めずクルクルと瓶を回し、ようやくすくい上げられると、「よしっ!」とガッツポーズをしたものだ。
風呂上がりに甘酸っぱさが凝縮された梅を頬張ると、遊び疲れてほてった体にすーっと染み渡ってすっきりした。
今でもうだるような夏の夜には、梅ジュースが飲みたいな、と思うことがある。

大人になり、保存食作りに興味を持つようになってから、ふと実家の梅シロップのことを思い出した。
あの懐かしい味は、どうやって作られていたのだろう?母に尋ねると「庭の梅の木の梅で作っていたのよ」と言う。毎日遊び回っていた庭に梅の木があったなんて、私は全く気づいていなかったので、びっくりした。

次に帰省した時、私は庭に出て探してみた。すると、確かに梅の木が一本あった。幼い私の庭の記憶の中にも、この木はずっとあったので「君が梅の木だったのか!」と思わず声が出た。
「毎年美味しいジュースをありがとうねぇ」と、心の中でそっと語りかけた。

食の仕事に就いてからは、梅がたくさん実った年には、母が梅の実を送ってくれるようになった。届いたダンボールを開けると、部屋中にほんのりと梅の香りが漂い、幸せな気分になる。
「今年も頑張って実をつけてくれたんだな」と感謝しながら、傷付けないようにひとつずつ、丁寧に取り出した。
庭で特に手入れもされずに育った梅は、形も大きさも不揃いだ。斑点もあって追熟させるには、少し難しそうだったので、私は梅シロップを作ることにした。

青梅を優しく水で洗い、ひとつずつ拭いていく。黒いヘタを竹串でちょいちょいっと取る。これがポロッと取れると気持ちがよい。水気が飛んだら、瓶の底に梅を丁寧に並べていく。梅の大きさとヘタの位置を揃えて一段並べたら、次の段には氷砂糖を敷いて、これを繰り返す。瓶の上や側面から見ながら、丁寧に並べていく時間は、ゆったりとしていて幸せな時間だ。

しばらく日が経てば氷砂糖が溶けてシロップが上がり、バラバラになって瓶の中に梅がぷかぷかと浮いてくる。綺麗に並べる意味がない気もするが、こういうのが、梅も気持ちよく梅シロップになれるのではないかと思うのだ。

毎日、瓶の様子を見ては、ソワソワしながら完成を待つ。上手く行く時もあれば、瓶を開けるとプシュッと音がして、発酵してしまっている時もある。こればかりは、梅の状態や環境によって変わってくるので、「今年の梅シロップ」として、そこも楽しめるようになっていった。

数年後、「今年の梅の木はどう?」と母に電話で尋ねた。「あの梅の木ね。ここ数年はもう、実がならなくなってしまったの。樹の寿命だと思うから、そろそろ抜く予定だよ」と、寂しそうな声が返ってきた。
久しぶりに帰省すると、庭は見慣れない様子に変わっていた。あの梅の木はもちろん、他の木たちも整理され、子どもの頃に駆け回った面影は薄れていた。少し寂しいけれど、時の流れと共に、ものごとは変わっていく。それでいいんだ。と、なんとなく思った。

かつて梅の木があった場所に、私はしばらく佇んでいた。青々とした葉を茂らせ、たわわに実をつけたあの木はもう、そこにはない。けれど、あの甘酸っぱい梅シロップの記憶は、確かに私の心の中に生き続けている。
梅シロップを作るたびに、庭の梅の木と琥珀色の甘酸っぱい味を、きっと私はいつまでも思い出すのだろう。

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庄本彩美

料理家・「円卓」主宰
山口県出身、京都府在住。好きな季節は初夏。自分が生まれた季節なので。看護師の経験を経て、料理への関心を深める。京都で「料理から季節を感じて暮らす」をコンセプトに、お弁当作成やケータリング、味噌作りなど手しごとの会を行う。野菜の力を引き出すような料理を心がけています。

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