一週間に一度、お便りをお届けいたします
暦生活編集部がつれづれと綴るお便りを、一週間に一度お届けいたします。
まったりひと休みする気持ちで、のんびり読んでいただけますと嬉しいです。
8月6日(木) 変わらない所で、同じように変わるものを見る
昨日、昔よく行っていた所に行きました。 いつも座っていた場所に行くと、春には優しい色味で咲いていた、鬱金という桜の葉が青々と茂っていました。 前に来た時には、まだ枯れ池のようだった蓮池に、所狭しと蓮が満ちていました。 銀杏が並んでいる場所は、まだ青葉ばかりでしたが、早くも銀杏の実が一粒と黄葉が一枚落ちていました。 そうだったな、ここは夏になると、このように景色が変わったなと、懐かしくなりました。 同時に、春はこうだったな、秋はこうだった、冬はこうだったと、目まぐるしく記憶がよみがえりました。
7月23日(木) 海に行きたい
海に行きたい気持ちが高まっています。
子どもの頃は夏休みになると、よく九十九里浜に連れて行ってもらっていましたが、大人になってからは、逗子にばかり行っていたように思います。
海に行こうと思い立った日は、丸一日をあてて、朝から電車に乗ってわくわく逗子まで向かいます。
駅から海に向かう途中、ジェラート屋さんの前を通りがかって、食べてから海に行こうか帰りに寄ろうか悩んでは、結局いつも食べてから。甘めでもったりしたジェラートなので、ひとつが丁度良いと頭では分かっていながらも、選べなくてバニラと抹茶のふたつにします。ふたつめの3分の1まで食べたところで、うーんやっぱりひとつが良かったかも、と思うのも毎度のこと。
のんびり食べ終えて海に歩いていくと、ふわっと潮風が海の香りを運んできてくれて、気分が高まります。海の端が見えてくると、もう期待は最高値。いよいよ海に着くのだと、嬉しくなります。
ふんわりした砂浜に足を踏み入れて、海を目におさめると、水面に映る日の光がきらめいて美しい。何度も見ているはずなのに、相変わらず惚れ惚れとします。
サーフィンに勤しむ青年を眩しく見たり、潮干狩りをしている家族連れを微笑ましく眺められるのも、とっても愉快。
砂浜に座って水面を眺めたり、綺麗な貝殻がないか探してみたり、波打ち際の地面のやわらかさを踏みしめたりしているうちに、日が傾きます。
書いていて気がつきましたが、海に入っていませんね。泳げないわけではないのですが。次はビーチサンダルに浮き輪も用意して、入ってみようかしら。
それから、今度こそはジェラートはひとつだけにしておかなくては。でも目の前にしたら、やっぱりふたつにしてしまうのでしょうね。
7月16日(木) 玉の夏
それぞれの季節に美しいものってあるような気がします。
植物はもちろん花期がありますが、布にしろ、石にしろ。
夏の布は、透けるような薄紗、麻、白木綿が爽やかな気がします。
夏の石は、やっぱり翡翠ではないでしょうか。玉の表面に広がる水のようなうるみは、夏だからこそ涼やかに感じられます。それに、白でも淡緑でも濃緑でも、夏の木々によく馴染み、人と自然とが和えられるような心地よさがあります。
以前どこかで読んだ玉器の本に、翡翠の良さは、水がこぼれず留まっているように見えるところにある、というようなことが書いてありました。今ではつやつやのものは多くありますが、古代はあれほどに常時つやめくものが、他にはなかったのでしょうね。
7月8日(水) 定番と限定
先週末、お茶に行きました。
アッサム、セイロン、ダージリンなど王道の紅茶に加え、季節限定で柑橘のフレーバーティーやサマープディングも。
どれにするか悩んだのですが、最近フレーバーティーばかり飲んでいるなと思い、定番のお茶を選びました。
久しぶりの紅茶単独の香りに、茶葉だけでもこんなに香り高かったのかと、目を瞠りました。同時に、この香りに慣れていたからこそ、季節折々の花や果実の香りが際立って、フレーバーティーを楽しく思えていたのだということに気付かされました。
変わらない基本の上に、スパイスのように季節感がふりかかっているから、ほどよいバランスで楽しめるのかもしれません。
それはきっと、普段の日常においても同じことなのだと思います。
いつもと同じ道だから、道端に咲く紫陽花に気付けるのでしょうし、いつもの建物が空の額縁になってくれるから、こんもりとした入道雲に気付けるのかもしれませんね。異質さが際立って、輝いて見えるのかもしれません。
背景だと思っていたもの、額縁だと思っていたもの、それは、それ自体がすでに美しいのかもしれないな。普段の生活の、ありのままの姿を楽しんでみようと思えた出来事でした。
7月2日(木) 季節のご挨拶
最近のつれづれ便りは食べ物ばっかりだとご指摘を受けたことを思えば、それなら別のお話をしようではないかと、腕が鳴ります。
が、一週間を振り返ってみると、氷の器にのった鱧が夏らしかったな、奈良時代の宴を再現したご馳走美味しかったな、和三盆シロップのかき氷は格別だったな、竹の筒に入った水羊羹がつるりとしていたし良い香りだった、水無月もやわやわだった、美味しい和菓子屋さん見つけられてなんて幸せ者なのだろう、今日の晩はディルをヨーグルトに混ぜ込んで生ハムと食べよう……。
やっぱり、次の特集は「暦生活のはらぺこ散歩」などが良いかもしれません。
気を取り直して、他のことを考えてみることにします。
シナモロールは白と水色で夏らしいキャラクターだなぁ。
3週間後は河童忌だな何を読もうかな。
時候の挨拶って素敵だな。特にその人らしいものは余計楽しい。
この中なら、時候の挨拶がつれづれ便りの話題として望ましそうなので、いくつか準備しておくことにします。
・水たまりに映る夏の空が楽しい季節になりました。立派な入道雲、もうご覧になりましたか。
・アイスクリームがますます美味しい季節ですね。何味が一番お好きですか。
・山開きだそうですよ。本格的に暑くなる前に、登りに行きませんか。
・暑さが続く中にも、時折吹き抜ける風が涼しいですね。ところで、つむじ風って「猋」と書くのだそうです。ゆかいではありませんか。
見直してみると、ちょっと間が抜けているような気もします。
まあ、時候の挨拶は本題とは違うのですから、肩の力を抜いて書いたって良いかもしれません。
現代においては時候の挨拶が必要な場では、こんなに緩くては相応しくありませんし、時候の挨拶が必要ない場では、冗長かもしれません。
それでも中々楽しいものではありますし、準備するだけでもわくわくします。
良いご挨拶を思いついたら、教えてくださいね。
6月24日(水) 食いしん坊かつぐうたら名人
連週食べ物のお話が続いたからか、これでは「つれづれ便り」ではなく「食いしん坊便り」ではないかと言われてしまいました。そのうえ、次の特集記事は、私の好きなお菓子をテーマにしたらどうかと打診されました。
食べ物のことばかり考えていたのかと言われれば、確かにその通り。
毎日、アイスクリームが食べたい、アフォガートが食べたい、とらやの入道雲の羊羹を買いに行きたい、夏野菜も美味しそう何の料理で食べようか……などと考え続け、ここ最近の口癖は「お腹が空いた」です。
「食いしん坊」というレッテルが、いかにごもっともであれ、食い意地が張っていると思われるのは、なんだか不名誉。
私の世界は、食べ物一辺倒ではなく、もう少し多様であってほしい。それでは他に何があるかと、頭をひねってみたものの、特段何も思いつかない。不甲斐ないばかり。
読書が好きかといえば好きですけれど、時々思い出したかのように「たいそうよいごきげんで、一生けんめい」読むだけで、「お腹が空いた」ならぬ「活字に飢えた」なんて生まれてこの方一度も口にしたことはありません。
他に趣味があるかといえば、一番の趣味がぐうたらです。
春のぐうたらも良いけれど、梅雨のぐうたらも素晴らしい。小雨であろうと土砂降りであろうと、雨音が良い具合で、低気圧がほどよく眠気を誘ってくれて、雨雲による丁度良い暗さが、うとうとぐうたらするのにぴったり。
梅雨時は暑すぎもせず、夏を前にふかふかのお布団にくるまれるのも、梅雨ぐうたらの大いなる魅力の一つです。
こんなことを考えていると、自分は食いしん坊なだけでなく、ぐうたらの名人であるという自信が湧いてきました。一刻も早く、ぐうたらしたい。今日は早くお風呂に入って、ぐうたら時間をたっぷり確保することにします。
皆さまも良い梅雨ぐうたら時間をお過ごしくださいね。
6月18日(木) おいしくソフトクリームを食べたい
暑くてじめじめする季節、何より楽しみなのがソフトクリームです。
ひんやり甘くてやわらかい、魔法のような食べ物。
カップのアイスクリームも無論美味しいけれど、できたてのソフトクリームのクリーミーさ、ミルクで勝負している潔さ、コーンとの絶妙な相性は、何物にも代え難い。
そんな完璧なソフトクリームを昨日食べたのですが、ちょっと悔いが残っています。
ひとつ。ケーキ屋さんでソフトクリームを買ったのですが、ソフトクリームを買ったあとで、店内をきょろきょろ見ていたがために、できたてから1分経ってしまって、ちょっぴり溶けてしまったこと。悔しい。次は、気が済むまできょろきょろしてから、買うことにします。
ふたつ。ソフトクリームの後に予定があり、落ち着いて食べられなかったこと。ゆったりした心持ちで食べたいのに、焦って急いでしまいました。ソフトクリームを食べる日は何も予定を入れないぞと、固く決心。
みっつ。偶然ソフトクリームを見つけたために、十分にソフトクリームの口にしておけなかったこと。ぼんやりソフトクリームが食べたいなと考えてはいたのですが、まさか昨日がその日になるとは思わず、事前に昂揚感を存分に味わえませんでした。そうと知っていたら、『このはのおかね、つかえます』を読んで、ソフトクリームのエッセイを読んで、万全の状態に整えておいたものを。
来週、また食べに行く予定を立てました。今度こそは、ばっちり準備して行きます。
6月11日(木) 季節を問わず
何ということなく、常にお腹が空いています。
絶えず何かを口に運んでいるのですが、周りを見渡してみると、全然みんな間食をしません。
冬は寒いから、エネルギー補給のために必要なのだろうと思っていたのですが、暑くなった今も変わらず食欲が尽きません。
特段何かの病気ということもないので、単に食べることが好きなだけなのでしょうね。
とはいえこうも食べ続けていると、間食が習慣になってしまって、ちょっと体に悪いのではないかなとも思います。
そう思って、おやつの代わりになろうかと、甘いお菓子の香りのフレーバーティーを常備してみたのですが、一緒に食べるお菓子がより一層美味しくなりました。作戦失敗。
春は桜餅、夏は水無月と、品を変えて旬のものを食べているものの、よく食べるという点においては季節を問わないのだなと、面白く感じた次第です。
次は何を食べましょう。フロランタンと、クッキーと、羊羹と、ラングドシャはもう食べました。
目の前には、ココナッツロールが鎮座しています。南の国の風が漂ってきそうで、いかにも夏らしい。
美味しそうです。
6月4日(木) 芍薬の季節
芍薬を一輪買いました。
土曜日にお散歩がてら、いつもは行かない街まで少し足を伸ばしたら、お花屋さんの表に置かれたバケツに、蕾の芍薬が生けてありました。ほんのり薄紅色でやさしげな花びらが可憐で、控えめな様子がいじらしくなり、つい連れて帰ることに。
早く花瓶に挿さなくてはと気が急いて、地下鉄に乗りながら、まだまだ蕾で、こんなにぎゅっと縮こまっているのに、ほんとうに咲くのだろうかと不安を覚えていました。
お家に着いて包みを解いて、近くでまじまじ見てみてみると、花びらの色の柔らかいこと、葉の端正なこと、茎のまっすぐなこと、この子はすくすく育ってきたのだと、微笑ましくなります。
ふと目を離して、一時間後くらいに見ると、蕾がほんのり綻んでいるではありませんか。
一晩寝て目を覚ますと、花が開いているではありませんか。
もう半日が過ぎると満開になり、一日後には更に大ぶりに。
ピンポン球ほどの大きさだったのが、みるみるうちに掌いっぱいになりました。
今どうなっているだろうかと、そわそわ気にかける、やさしい気持ちで過ごせたのも、この一輪の芍薬のおかげです。
これから散ってしまうのだと思うにつけても寂しく、蕾の頃から名前をつけて、もっと可愛がればよかったかしらとも。
完全に枯れてしまう前に花びらを一枚ずつ花氷にして、夏の間少しずつ取り出して眺めようかと思案中です。
それとも、自然のまま最後まで凋落するのを見届けた方がよいかな、とも悩んでいます。
どうしましょうね。困りましたね。
5月28日(木) 五月の青さ
鏑木清方が「若葉」という随筆で、このような言葉を残しています。
「五月という月は若いものだけに許された季節のような気がする。」
「まともにさす若葉の光りは、美しいけれども今の私にはまばゆすぎる。」
そう言われてみれば、確かに五月は若さがよく似合う季節です。
日々新緑が青々と萌え出て、木立が鬱蒼と繁りゆく様子を見ていると、育ち盛りの夏を実感せずにはいられません。木漏れ日がきらきら溢れる日に、四歳五歳くらいの子どもが駆け抜けていったり、半袖のさっぱりとした制服を着て談笑する中高生とすれ違ったりすると、爽やかな気分になります。
生き生きと繁茂する草木が、すくすく育つ若さに重なって見えるからでしょうか。
とはいえ何も年少であるということばかりではなく、年齢によらず「若々しさ」がよく似合う季節なのだろうと思います。
少年のように輝いている目、何か新しいことを始めてみようとする心、わくわくする気持ち、それらも五月に似つかわしい。
普段は落ち着いている人でも、浮き足立って新たな世界へと踏み出させたくなるような明るさが、五月にはあるような気がします。
「五月だから」と、実は始めてみたかったことを、始める言い訳にしてみませんか。
5月21日(木) 初夏を食べたい
五月になると決まって口にしたくなるのが、緑色の食べ物・飲み物。まるで初夏を口にしているみたいで、青々とした爽やかな気分になります。
春に桜餅を食べたくなるのも、春を食べているように感じるからかもしれません。それぞれの季節に、周りを包む自然と同じ色のものを食べて、その季節を食べた気になって楽しんでいるのだと思います。
そういうわけで今朝は、水出しの白桃煎茶、会社の方がくださった抹茶のういろうをいただきました。
これまでお茶はお湯でしか淹れたことがなかったのですが、先日読んだ森茉莉『私の美の世界』に、お茶は水出しに限るなどということが書かれていて、ぜひ試してみたかったのです。渋みも雑味もなく、良い香りにまろやかな味わいで、とっても良いことを教えていただいたと、ほくほくしているところです。昨晩、ほんとうに美味しくできるかしら、朝起きても水が透明で味がなかったらどうしよう、などと考えていたのが杞憂に終わりました。
それから抹茶のういろう!会社の山口県出身の方から教えていただいて、大好きになったお菓子なのですが、今回お菓子好き仲間の方からいただきました。もっちりとした生地、甘すぎないほどよさ、とろんとした美しい濃緑の表面、ふんわり香る抹茶が絶品でした。会社の方の優しさも和菓子の美味しさも相まって、すっかり心が満たされて、これからのお仕事も頑張れそうです。
特段脈絡もないのですが、何かを飲む時、食べる時は、口いっぱいに頬張るのが好きです。ちょっと品がないかなと思いもするのですが、幸福感をぎっしり詰め込めるように思えて、一人でいる時などはよくやります。喉に詰まらせないよう注意して、ぜひお試しください。
5月14日(木) 香りのアカペラ
昨日、夕暮れ時に公園に本を読みに出かけました。
林の中にいるような感覚になる、木々に囲まれた良い場所があるのです。
そこで、「ちびの仕立て屋」を「たいそうよいごきげんで、一生けんめい」読んでいたのですが、けらけら笑いながら読み進めていくうちに、ふと辺りに色々な香りが漂っていることに気がつきました。
最初に漂っていたのは、甘い白いお花の香り。周りを見渡してみたのですが、それらしき木は見当たらず、白いというのも想像に過ぎません。梔子が香るにはまだ早いし、ジャスミンでもありませんでした。さほど強い香りではありませんでしたが、梅よりはもう少し甘さがあるような、そんな香りでした。どこかの薔薇が香っていたのかもしれませんね。もう一度香ってきたら、元を辿って正体を明らかにしたいものです。
次は、葉の青い匂い。草刈りを終えた後のもわっと立ち込める匂いではなく、生きている植物から発される、爽やかな青葉の香りでした。それが、ほんのりとした湿気と混じり合って、しっとりと香っていました。
それから、あたためられた土の香り。冬の土のように乾いた香りでもなく、春の土のように細やかに空中に漂う香りとも違います。葉と同様、ほんのり五月の湿気を帯びて、日中の日差しと混じり合ったかのような、温みを感じる香りでした。
これまで公園に行くと、自然の香りがするなとは思っていたのですが、さまざまに混ざり合った香りの一つ一つに気づくことはありませんでした。今まで交響曲を聴いていたようなものだったのだな、今回はアカペラを聴かせてくれたのだなと、嬉しくなりました。そんなある日の夕暮れでした。
読んでいたのは、『グリム童話集(1)』(相良守峯訳、岩波書店、1984年)です。
5月7日(木) 夏の気配
立夏を迎え、暦のうえでは初夏となりした。
はて、今の時期は夏だろうかと周りを見渡してみても、夏らしさに溢れているような気はしません。春の花々がまだ咲き残り、晩春の名残があちこちに見えます。
それでも、初夏の香りは確かにするような気がします。
繁茂し始めた濃淡の緑、草木の香りを乗せてそよぐ湿った風、膨らみを増す白雲、蓮の蕾、冷たい飲み物の水滴、夕暮れ時の涼やかさ、…。
そこはかとなく漂う夏の気配に、もう花火をしても良い季節になったのだと、楽しくなります。
まだ生まれたての夏。
すくすく育つ様子を、眺めていようと思います。
