こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。
筍が美味しい春の季節を経て、初夏を迎えると、竹林では黄ばんだ古い葉がはらはらと落ちる「竹落葉」という現象が見られます。
見上げると青々とした竹が空に向かって真っすぐ伸びてゆく中、地面には不思議なことに、黄色くなった古い葉がこんもりと積もってゆくのです。
これは、竹が春にたくさんの筍を生やすことで力を使い果たし、古い葉がどんどん枯れてゆくため。
この季節ならではの落葉によるサラサラという音は、爽やかさを感じさせてくれる、初夏の風情のひとつだとも言えるかもしれません。
落葉というと、秋から冬にかけてのイメージが強いですが、こと「竹」に限っては落葉が初夏を象徴するものに一変します。
「竹落葉」は初夏の季語ですが、竹の生態のおもしろさが宿った、竹にまつわる言葉は、他にもいろいろあるのをご存知でしょうか。
たとえば「竹の秋」は、春に筍へ栄養を与えて急激に葉が枯れ落ちることから春を象徴する季語、逆に「竹の春」は、秋に元気を取り戻して若竹がますます成長してゆく姿から秋を伝える季語となっています。
一般的な植物とは異なり、竹は季節ごとの生長の様子が逆になっているのが、ユニークなところですよね。
でも、生命力の強い竹だからこそ次々に新陳代謝を行って、赤ちゃんである筍へと栄養を移した後に古い葉を惜しみなく落としてゆく様子は、とても潔く格好いい生き様のようにも思えます。
これから育つ若い世代に多くを注いで、バトンを次の時代に繋いでいかんとする植物の潔い本能が感じられて、私はなんだか感動してしまいました。
植物はある意味で、動物(特に人間)のように、自分という個に対する過度な執着を持っていない気がします。
それよりも、種の保存という地球上における大きな役割のひとつを懸命に担って、積極的に新陳代謝を繰り返しながら健気に生きているのかもしれません。
彼らは余計な思考やしがらみを持たない分、もっと自由。でも、本来の自分の役割が分かっているから、シンプルに生きることができるのでしょう。
私たちもきっと、単純によりよい世界を受け継ぐため自分にできることを選択していけば、もう少し気楽にのびのびと生きられるのかもしれません。
自分の中の執着を脱ぎ捨てて、竹のように不要になった部分は潔く削ぎ落していけば……。竹のように真っ直ぐ、迷いなく伸びてゆけるのではないでしょうか。
物言わぬ植物の姿、そして季節ごとに移ろいゆく自然界の様子からは、私たち人間が学ぶべきことがたくさんあるものです。
いろいろと考えて頭でっかちになりそうなときほど、ぼんやり自然の中を散策してみると良いのかもしれません。
初夏のこの季節、どこかで竹林を見つけたら、ぜひ「竹落葉」の様子を観察してみてくださいね。
シンプルに生きてゆくための勇気が、もらえるのではないでしょうか。

紺野うみ
巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。
