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イヌワシ

旬のもの 2024.10.29

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こんにちは。科学ジャーナリストの柴田佳秀です。

今から30年くらい前、私はテレビの自然番組を作るために、1年間定期的に白神山地へ通ったことがあります。10月のある日、紅葉の山でふと空を見上げると、一羽の大きな鳥が舞っていました。それが初めて見たイヌワシでした。円を描きながら高い空を悠々と舞う姿を見ながら、「なんて気持ちよさそうなんだろう」と思ったことを覚えています。鳥の魅力はいろいろありますが、私はやっぱり大空を舞う姿に一番魅了されます。このときのイヌワシも、まさにそんな感じだったのです。

さて、そのイヌワシですが、大きなメスだと全長90cm、翼を広げると2mを越える巨大な鳥です。全身が黒っぽい褐色で、頭から後頭部が金色に輝いて見えることから、英名ではGolden Eagle(ゴールデンイーグル)と呼ばれます。日本のプロ野球チームに東北楽天ゴールデンイーグルスがありますが、このチーム名は、私が出会った白神山地のイヌワシに因んでの命名なんだそうです。

一方、イヌワシという和名は、安土桃山時代にはすでにあり、イヌは劣るという意味だそうです。確かに、人の役立ちそうにない種にはイヌ○○なんて名前をつけますが、こんな素晴らしい鳥が劣るなんてどういうことなんでしょう? そう思って調べてみると、どうも昔はオオワシよりもイヌワシの方が、ランクが低いと考えられていたらしく、こんなネーミングになったという説があります。当時はそれほど珍しい鳥じゃなかったのでしょうか。

名前の由来にはもう一つ説があります。漢字では、犬鷲の他に狗鷲と書くことがあり、こちらは天狗のことです。イヌワシは天狗のモデルといわれ、山を自由自在に飛び回る姿はまさに天狗そのもの。ときには子鹿を捕らえて飛んで行くなんてこともするので、天狗にさらわれたという話は、こんな行動が由来になっているのかもしれません。

かつてはオオワシよりも劣ると言われたイヌワシですが、現在は天然記念物の貴重な鳥で、北海道から九州までの山岳地帯に約500羽が生息しているにすぎません。世界では、北半球に広く分布する鳥で、6つの亜種があり、日本に生息するのは一番小型の亜種です。

イヌワシといえば、山の森に棲む鳥ですが、じつはこれは日本だけの特別な話。世界標準でいえば、モンゴルやアメリカの大草原にいる鳥なんです。考えてみればこれは当たり前の話で、2mを越える長い翼の鳥が、うっそうと樹木が茂った森の中を自由自在に飛べるわけがなく、大草原で獲物のウサギを追うスタイルの方が、この鳥のプロポーションには合っているのです。

ではなぜ、日本のイヌワシは山の森に棲めるのでしょうか。それは日本独特の森の構造と多様な環境をうまく利用しているからなのです。イヌワシが生息するのは、ブナやミズナラなどの広葉樹の森です。とくに原始的な広葉樹林は木々の間が広く、意外とすけすけ。ですから、上空からノウサギやヤマドリなどの獲物がいる地面が見えるのです。

また、林内に飛び込んでも木と木の間が広いので、長い翼でも大丈夫。あまりぶつかることなく獲物を捕らえることができます。その他、森には伐採地や雪崩のあと、石灰岩のカルスト地形などの樹木がない開けた場所が点在しており、それをうまく利用することで、本来は草原の鳥であるイヌワシが森でも暮らしていけるのです。

こんな世界でも例がない日本のイヌワシですが、現在はとても厳しい状況に追い込まれています。それというのも、巨木が生える原始的な森はほぼありませんし、たとえ森があってもスギやヒノキなどの針葉樹の人工林がほとんどで、ここでは狩りができません。また、地球温暖化の影響なのか、最近は雪があまり降らない地域が増えています。イヌワシにとって、雪が降ることはとても重要で、積雪で獲物を見つけやすくなったり、雪崩でできた崩壊地は重要な狩り場になったりします。地球環境の変化は、イヌワシの暮らしにも大きく影響をしているように私は思うのです。

白神山地で私が出会った悠々と大空を舞うイヌワシ。巨大な翼を広げて飛ぶ姿は、今でも目に焼き付いています。世界でも日本だけにしかいない森のイヌワシが、いつまでも日本の大空を舞うことができるように、私たちは何をしなければいけないのか、考えなければなりません。

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柴田佳秀

科学ジャーナリスト・サイエンスライター
東京都出身、千葉県在住。元テレビ自然番組ディレクター。
野鳥観察は小学生からで大学では昆虫学を専攻。鳥類が得意だが生きものならばジャンルは問わない。
冬鳥が続々とやってくる秋が好き。日本鳥学会会員。

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