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ヘリオトロープ

旬のもの 2025.05.04

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こんにちは。俳人の森乃おとです。
新緑の候、吹き渡る風の芳しい季節となりました。星型をした紫や白の可憐な花を開き、ヘリオトロープも芳醇な香りを放ちはじめます。花から採れる精油は香水の原料となり、別名に「恋の花」「愛の薬草」。日本ではじめて輸入・市販された香水は、フランスの「ヘリオトロープ・ブラン」でした。

ヘリオトロープはチェリーパイの香り

ヘリオトロープは、ムラサキ科キダチルリソウ属の植物の総称。熱帯から温帯まで、世界各地に約250種が分布しています。その代表種が、香料ハーブとして使用されてきたHeliotropium arborescens(ヘリオトロピウム・アルボレッセンス)です。

南米のエクアドルやペルー原産の常緑低木(日本では一年草)で、単に「ヘリオトロープ」といえば基本的には本種を指します。「コモンヘリオトロープ」とも。属名の“Heliotropium”は、ギリシア語の「helios(太陽)」「trope(向く)」が語源で、太陽に向かって花を開くという意味があります。

高さは20~60㎝ほどで、茎にやや硬い毛があり、葉は先が尖った卵形。開花期は4~10月と長く、茎の先に花序がつき、径5mmほどの小花をドーム状に集めて咲かせます。花にはアーモンドやバニラ、キャラメルなどを思わせる甘い香りがあることから、英語圏では「Cherry pie(チェリーパイ)」と呼ばれます。

コモンヘリオトロープとビッグヘリオトロープ

18世紀中期にフランス・パリに種子が渡って以降、ヘリオトロープは香水や石鹸、ポプリなどの原料に使われ、世界各地で愛されてきました。日本には明治中期に渡来し、和名は「キダチルリソウ(木立瑠璃草)」です。「ニオイムラサキ(匂ひ紫)」「コウスイソウ(香水草)」などの優美な呼び名もあります。

ただ現在、園芸店でよく見かけるのは、香りよりも花を観賞するH. europaeum(エウロパエウム)の方かもしれません。南ヨーロッパ原産の一年草および多年草で、和名は「ヨウシュキダチルリソウ(洋種木立瑠草)」です。また、花が大きく見ごたえがあることから「ビッグヘリオトロープ」の名もあります。ただ香りは控えめであるため。観賞用ではなくハーブとして楽しむならば、コモンヘリオトロープが適しています。

夏目漱石とヘリオトロープ

1892年、フランスで発売されたロジェ・ガレ社の「Heliotrope Blanc(白のヘリオトロープ)」は、世界各地で爆発的な人気を誇り、日本にはじめて輸入された近代的な香水でした。起源は、1806年にパリのお店で売られていたコロン。その焼き立てのお菓子のような甘い香りを、かのナポレオン・ボナパルトも愛したのだとか。

1908(明治41)年、新聞で連載された夏目漱石の小説『三四郎』には、ヘリオトロープの香水を白いハンカチに染み込ませ、主人公に別れを告げるモダンな美人が登場します。

――やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。

ロンドン留学帰りの漱石は、パンとジャムと紅茶を好み、西欧の文学や美術はもちろん、嗜好品などもいち早く作品に取り入れました。世界中で愛用された大ヒット商品「ヘリオトロープ」もその一つなのでしょう。憧れてやまぬ女性の面影に、文明開化の象徴である外国製の甘美な香りが重なり合い、とても鮮烈な印象を読者に残します。

ちなみにヘリオトロープはかつて、天然の精油が採油されていましたが、19世紀後半に香りの主成分であるヘリオトロピンが発見されました。そのため現在では、合成香料が主流となっています。

ヘリオトロープ 紫の呼吸 ひそやかに――文挟夫佐恵(ふばさみ・ふさえ/1914~2014年)

さてギリシア神話では、ヘリオトロープにまつわる物語が、次のように語られます。
水の精クリュティエは、太陽神ヘリオス(=アポロン)に恋をしました。一度は寵愛されるものの、すぐにヘリオスは美しい王女レウトコエに心を移します。クリュティエは嫉妬にかられ、王女の父王に二人の情事を密告するのです。厳格な王は怒り、愛娘を生き埋めにして罰を与えます。息絶えた王女は、嘆き悲しむヘリオスによって乳香の木に姿を変えられました。罪を悔いるクリュティエは立ち尽くし、来る日も来る日もヘリオスが日輪車で東の空に現れ、西の空に姿を消すまで、見つめ続けました。9日9晩たち、クリュティエの足は地面に根付き、顔は花となってしまいました。そして「太陽の方を向くもの=ヘリオトロープ」と呼ばれるようになったのだとか。

ヘリオトロープの花言葉は「献身的な愛」「愛よ永遠なれ」「あなたを見つめ続ける」。いずれも水の精クリュティエの悲しい恋のエピソードより生まれたものです。
掲句の「ヘリオトロープ」もまた、胸を締めつけられるような恋をしているのでしょうか。どんなに思いを秘めていても、その吐息は紫色であり甘いのです。

ヘリオトロープ

学名:Heliotropium
英名:Cherry-pie,Heliotrope
ムラサキ科キダチルリソウ属 (Heliotropium) の植物の総称。代表種はH. arborescensで、コモンヘリオトロープとも。南米のエクアドルやペルー原産の常緑低木(日本では一年草)で、開花期は4~10月。茎の先に径5mmほどの小花をドーム状に集めて咲かせる。花には甘い香りがあり、別名に「ニオイムラサキ(匂ひ紫)」「コウスイソウ(香水草)」。

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森乃おと

俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)

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