こんにちは、料理人の庄本彩美です。今日は「ほうれん草のおひたし」についてのお話です。
子どもの頃の私は、祖母が育てたほうれん草を「飽きるほど」食べて育った。おかげで、ほうれん草で大きくなったと言っても過言ではない。
母はよく、それを定番の「ほうれん草のおひたし」にして、食卓に出してくれた。皿にぎゅっと絞ったほうれん草を盛り、鰹節をぱらっとふりかけて、さっと醤油を垂らしたもの。鰹節の旨みと醤油の塩気によって、ほうれん草のほのかな甘みとえぐみが、グイッと引き立てられていた。茎のシャキッとした歯触りと、葉のとろけるような柔らかさがダイレクトに感じられる、力強い料理。ほうれん草といえば、私の中ではこれだった。
大学生の頃、忙しくなってくると、食堂で食べることが増えた。学食のクオリティが高くて、足繁く通ったものだ。
メインになる料理も豊富な上に、副菜がとても充実していた。ショーケースに小鉢が沢山あって、選ぶのを悩んでしまう。さらに、1g1円のサラダバーもあって、つい取りすぎてしまい、トレーが野菜でいっぱいになることもしばしば。今思えば、あんなにメニューが豊富な食堂は珍しかったのではないかと思う。
思い出のメニューは色々あるが、その中で忘れられないのが「巣篭もり卵」だ。初めて目にした時、「おや?」と思わずショーケースを覗き込んだ。
湯がいたほうれん草が、まるで鳥の巣のようにこんもりと丸く盛り付けられている。その小さなベッドの中央には、温泉卵が安らかに身を預けている。ほうれん草はお出汁にたっぷり浸され、つややかな温泉卵と共に、しっとりとした輝きを放っていた。
ほうれん草といえば、先のほうれん草のおひたしだろうと思っていた私は、物語のあるその料理に「なんて絵になる料理なんだ」と目を輝かせ、ショーケースから選び取った。
まずはほうれん草を一口。ジュワリと口の中に広がる、ほうれん草の甘みとお出汁の旨み。ほうれん草のえぐみを、お出汁の旨みが優しく包んでいて、えぐみが驚くほど気にならない。まるでほうれん草の個性に寄り添うかのような優しいお出汁。ほうれん草には醤油がぴったりだと思っていた私だが、まろやかな上品な美味しさに、「これも"アリ"だ」と思わせられた。
「ほうれん草って、力強いワイルドな味ってイメージがあったけど、穏やかで繊細な料理にもなれるんだなぁ」と新たな発見だった。
箸で温泉卵を崩すと、卵黄がとろりとほうれん草へ流れる。口に運べば、ほうれん草とお出汁の清らかな旨みの直後に、濃厚な卵黄のコクが追いかけてくる。シャキッとしたほうれん草の食感と、クリーミーな卵黄が混ざり合って、はらぺこな大学生にも満足感のある食べ応えだった。
それ以来、私は「出汁の魔法」にかかり、ほうれん草のおひたしの料理の幅が広がった。実家から届いたほうれん草をゆがき、お出汁でおひたしに、恋しくなっては醤油で一品。時間のある時は、温泉卵を作って巣篭もり卵も再現して、楽しんだのだった。
農家さんから、「ほうれん草はわがままで繊細」だと聞いたことがある。
ほうれん草は、アクが強く"ワイルド"な一面を持ちながら、湯通しと出汁という調理によって、"繊細"で優しい味に変わる。まさに、二面性を持つ食材と言えるだろう。
旬を迎え、甘みを増したほうれん草は、これからが一番美味しい季節。二つの顔を持つ魅力的なほうれん草を、この冬も思う存分楽しもうと思う。

庄本彩美
料理家・「円卓」主宰
山口県出身、京都府在住。好きな季節は初夏。自分が生まれた季節なので。看護師の経験を経て、料理への関心を深める。京都で「料理から季節を感じて暮らす」をコンセプトに、お弁当作成やケータリング、味噌作りなど手しごとの会を行う。野菜の力を引き出すような料理を心がけています。
