こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。
春は、あけぼの。夏は、夜。秋は、夕暮。冬は、つとめて。
時は平安時代の中期。清少納言が綴った随筆『枕草子』の中で、四季それぞれの魅力について述べている、有名な一節です。
もっとも耳にする機会が多いのは、やはり出だしの「春は、あけぼの(明け方)」の部分だと思いますが、「冬は、つとめて」に続く内容を、皆様はご存知でしょうか。
「冬は、つとめて」に続くのは、次の通り。
「冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」
「つとめて」とは、漢字で書くと「夙めて」となり、「早朝」のことを言います。つまり清少納言は、「冬は、早朝が一番好き(趣があると思う)」と言っているのです。
同じ朝の情景でも、春の「あけぼの」は夜が明けていく最中を言い、冬の「つとめて」は夜が明けて間もない早朝を指します。
現代語訳は、このような感じでしょうか。
「冬は、早朝(が好き)。雪の降っている早朝が素敵なのは、言うまでもない。霜が真っ白に降りているのも、また雪や霜がなくても、とても寒い早朝に、火を急いで起こして、炭を持って運びまわるのも、冬の朝にとても似つかわしい。ただ、昼になって、寒さがだんだん和らいでくると、火桶の炭火も、白い灰だらけになっているのは見た目が好きじゃない」
たしかに、冬の朝はちょっと「特別感」があるような気もします。
寒い朝にがんばって暖かい布団を抜け出て早起きができると、まだ少し薄暗い外の景色や静けさ、朝ならではのキンとした冷え込みも含めて、体感している自分がちょっと誇らしいような、そんな感じ。
「うぅ、寒い……」と言って手を擦り合わせながらも、五感に伝わる「朝」の感覚が、一日の始まりを明確に感じさせてくれるようにも思えます。
冬の夜の厳しい寒さは、暗くてどことなく寂しさや孤独感を煽りそうになることもありますが、朝の寒さは強制的に体を目覚めさせるかのようで、「よし、今日もがんばるか!」となんだか前向きな気持ちにしてくれるのかもしれません。
清少納言が記したように、朝一番に、誰にも汚されていない雪景色を見るのは素敵ですし、ふかふかの土の上に刻まれた長い霜柱を見つけると、大人になっても心がちょっとワクワクして、思わず踏んで感触を確かめたくなってしまいます。
一方で、空気が澄んで張り詰めた冬の夜に、月や星などの浮かぶ空がくっきりと輪郭を浮き立たせている光景も、私は好きです。
外で火を起こして、揺らめく光をぼんやり眺めたり、肌に染み入る温もりを感じたりするのも素敵ですね。
季節の情景の好みは、もちろん人それぞれに違うかもしれません。
それでも、「あぁ、この季節のこの時間、好きだなぁ」としみじみ感じるその心を、日本人として大切に持っていたいなぁと思うのです。
清少納言にとっては「冬は、つとめて」。
皆様にとっては、いかがでしょう?
自分なりに趣深いと感じる「春は〇〇、夏は〇〇、秋は〇〇、冬は〇〇」を、改めて考えてみるのも、おもしろいかもしれません。
きっと、季節を楽しむ心が、さらに育まれることでしょう。

紺野うみ
巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。
