こんにちは、料理人の庄本彩美です。今日は「豆ご飯」についてのお話です。
新緑の季節にスーパーの棚に並ぶ、えんどう豆と目が合う。ふっくらとふくらんださやから「そろそろ豆ごはんでも食べませんか?」と誘われているような気がして。
その若々しい緑色から目が離せなくなり、「分かったよ、食べるから」と、つい独り言をこぼしながら買い物かごへ入れる。
家に帰り、机に新聞紙を広げる。買ってきた豆の袋を開けてさらさらと出すと、ふわりと青い香りが漂った。ああ、祖母もこうやってえんどう豆の「しまつ」をしていたな、と思い出す。
幼い頃、この時期になると畑の豆が沢山収穫された。祖母は畳の上に新聞を敷き、手早く豆を剥いていた。よく祖母と膝を突き合わせ、背を丸めて手伝いをしたものだ。
さやのヘタをポキリと内側に折り、筋を引く。あのスッと一本、綺麗に取れる時の心地よさは何事にも代え難い。割れ目に親指を差し込めば、「パカッ」と軽やかな音を立ててさやが開く。そには、初めて外の空気を吸うつやつやの豆たちが整列してまどろんでいる。指の腹で優しく押し出すと、ぽろっぽろっとリズムよくボウルに落ちていく。私は豆を剥く手伝いに、いつも夢中だった。
母はよく豆ごはんを作ってくれた。豆ご飯の作り方は、2通りある。豆を一緒に炊く方法と、茹でておいたものを後から混ぜる方法だ。どちらで作るか、これは永遠のテーマかもしれない。
母がつくるのは前者で、やや特有の青い味が染みているが、子どもの私にも柔らかくて食べやすいものだった。
ボウルに溜まった豆を見つめながら、考える。今日はこの鮮やかな緑に宿る、生命力を丸ごと味わってみたい。
まずは豆を茹でる。鍋に水を入れ、沸騰したら少し火を弱め、豆を優しく放つ。お湯が「さぁ、起きる時間だよ」と語りかけるかのようにコトコトと豆を動かす。少しして火を止めて、余熱でじっくり火を入れる。豆は、この煮汁の中でゆっくりと目覚めを待つのだ。そのまま冷やし、ゆで汁ごと冷蔵庫へ。
夕食の時間。さきほどのゆで汁と酒、塩を土鍋に入れてお米を炊く。炊き上がったら蓋を開け、出来たてのご飯の上へ、豆をサッと散らして再び蓋をする。数分、余熱で馴染ませれば出来上がりだ。
蓋を開けた瞬間、真っ白な湯気と共に、お米の甘い香りと豆の爽やかな香りが鼻を抜ける。土鍋の中には、つやつやの白米の上に翡翠色のまん丸い豆たちが、誇らしげに転がっていた。
一口噛めば、まるでこの時を待っていたかのように、ぷちんっと口の中で豆が弾ける。これを生命の喜びと言わずして、なんと言おう。かつては苦手だったはずのあの青い風味さえ、今は何よりのご馳走だ。
私は最後の一粒を名残り惜しく口に運び、お茶碗をそっと机の上に置いた。
新緑のいのちを、手を使い、食べて味わう。この幸福が、豆ごはんには詰まっているのだ。

庄本彩美
料理家・「円卓」主宰
山口県出身、京都府在住。好きな季節は初夏。自分が生まれた季節なので。看護師の経験を経て、料理への関心を深める。京都で「料理から季節を感じて暮らす」をコンセプトに、お弁当作成やケータリング、味噌作りなど手しごとの会を行う。野菜の力を引き出すような料理を心がけています。