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日本の色/縹色はなだいろ

にっぽんのいろ 2026.08.27

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染織家の吉岡更紗です。朱色、紅、古代紫、葡萄色、藍色、萌黄色…日本では様々な美しい色の名前がつけられてきました。今回は、「縹色(はなだいろ)」についてのお話です。

縹色

この暦生活の連載で、紺、甕覗、藍、浅葱色、水色など藍染で表された様々な青の色について記しておりましたが、今回ご紹介する縹色は、様々な文献を読んでいるとそれらの色の総称として用いられてきた印象があります。

「縹」について記述されているのは、中国の後漢時代(西暦25年-220年)に記された最古の漢字辞典とされる『説文解字』で、「帛の青白色なるものなり」とあります。また、後漢時代末に様々な単語の字義を説いた『釈明』には「縹猶漂。漂浅青色也」と書かれていて、淡い青色の名前だったのではないかという印象が残ります。また「漂(ただよう)」という漢字も見られ、退色しやすい色だったのかもしれません。縹色を「花田色」と記す場合もあり、かつては藍染ではなく、露草のように水につけると色が流れてしまうもので染められた色と定義していた説もあります。

浅縹色

日本で、「縹」の文字が使われているのは『日本書記』持統天皇四年(西暦690年)の冠位制定です。「(略)量りて冠位授けむ。其の朝服は、(略)追の八級には深縹、進の八級には浅縹…」とあります。603年に聖徳太子が「冠位十二階」を制定した時から冠位を授けられた者の冠や朝服は、位によって色が決められるようになるのですが、その後天皇の即位や年号の変更により細分化され、色の名称も変わります。

青系の色に注目すると、「冠位十二階」では「青」とされているのが、大化の改新を経た孝徳天皇以降は「紺」と書かれ、持統天皇四年に「縹」が登場します。冠位を定められた者が身に着けた色なので、600年頃からは退色しない、いわゆる藍染になったのでは、と推測しています。

『延喜式』「縫殿寮」1深縹、中縹

具体的な材料が記される書物は、平安時代に編纂された『延喜式』「縫殿寮」です。ここでは、深縹、中縹、次縹、浅縹、深藍、中藍、浅藍、白藍の八色の色合いについて、どのような染料が用意されていたか、記述されており、縹色には深から浅まで4段階の縹色があることが分かります。一例として深縹には、

『延喜式』「縫殿寮」2次縹、浅縹、深藍

深縹綾一疋、藍十圍、薪六十斤。帛一疋、藍十圍、薪一百廾斤。絲一絇、藍四圍、薪四十斤、貲布一端、乾藍二斗、灰一斗、薪卅斤。

とあります。
綾織の絹一疋(約24m)を染めるのに、藍十圍(い)とありますが、「圍」とは、植物を結わえる紐の長さの単位で、一圍は約三尺(約1m)なのだそうです。
夏に成長した藍の葉を、十圍用意して生葉染めをしていたのか、もしくは薪を使用して藍の葉を煮出して色を抽出していたのか、考察が分かれています。

蓼藍の葉

綾一疋、帛一疋など絹を染める場合は、藍の葉を生のまま使用する印象ですが、貲布(さいみ)、織の荒い麻布には、乾燥した藍の葉と灰が使用されていて、現在行われているような、還元発酵を利用した藍染が施されていた可能性があります。

古来行われてきた染色は植物が用いられ、それらは絹に染まりやすい性質を持ちますが、藍染に限っては繊維を選ばず、麻、和紙などの植物繊維もよく染められていました。『延喜式』は平安時代の宮中における律令制を中心に編纂された書物ですので、ほぼ絹を身に着ける天皇家、公家階級の為の衣服については、灰汁のアルカリによって絹が傷まない方法が取られていたのではないかと考察しています。

藍の葉の刈り取り

『延喜式』には、深藍、中藍、浅藍、白藍を染めるのには藍にくわえて黄檗が必要であると記されていて、縹色には藍そのものの色、藍色は少し黄味がくわえられた色であったと思われ、時代によって色合いに対する考え方が移っていたのかもしれないと、興味はつきません。

深縹色

写真提供:紫紅社

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吉岡更紗

染織家・染司よしおか6代目
京都市生まれ、京都市在住。紫根、紅花、藍などすべて自然界に存在する染料で古法に倣い染織を行う「染司よしおか」の6代目。東大寺二月堂修二会や薬師寺花会式など古社寺の行事に染和紙を納める仕事もしているため、冬から春にかけてが一番好きな季節。美しい日本の色を生み出すために、日々研鑽を積む。

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