こんにちは、俳人の森乃おとです。
年の瀬が近づき、シクラメンの鉢花が華やかに並ぶ季節となりました。
シクラメンは鉢植え植物としての出荷量が日本一の人気の花。冬に本格的な花期を迎え、翌春まで厳しい寒さの中で咲き続けます。
異国情緒あふれる不思議な花
シクラメン(学名Cyclamen persicumキクラメン・ペルシクム ※ラテン語読み)は、サクラソウ科シクラメン属の多年草。原産地は地中海を取り巻く南欧、中東、北アフリカで、丘陵地帯の岩場に自生しています。
ビロードの生地を思わせる艶やかな5枚の花びらは、ゆらゆらと立ち昇った炎がそのまま固まったよう。地面に広げた濃緑色のハート型の葉には、大理石のようなまだら模様があります。もともとの花の色は白またはピンクでしたが、近世に欧州各国で品種改良が進み、多種多様な園芸品種が作り出されました。
シクラメンは実に不思議な姿をしています。大きな塊茎(かいけい)をつくる植物で、花茎(かけい)も葉柄(ようへい)もすべて塊茎の上面から出ています。
花を下から覗いてみてください。円いドーム状の窪みがあり、その天井には短い雌しべと雄しべの塊がついています。花びらはドームの縁でぴたりと背面に折れ、上に向かいます。今度は真上から見ると、花びらに隠れていた花茎の先端が、急ターンして花を吊り下げていることがわかります。
つまりシクラメンの花は完全に下を向いているのに、上向きの花を装っているのです。蝶々が飛んでいるかのような浮遊感は、ここから生まれます。
ソロモン王の伝説と恥ずかしがり屋の花
シクラメン属を表すラテン語学名にある〝cycla〟は「円」や「螺旋」を意味します。花茎が円いカーブを描くことから名づけられました。シクラメンには、賢者として名高い古代イスラエル王国のソロモン王にまつわる伝説があります。
ソロモン王は、花をデザインした王冠を作ろうと思い立ち、あちこちの花にモデルとなってくれるように頼みました。けれどもすべての花に断られてしまい、岩の上で泣いていると、シクラメンが声を掛けました。「私を王冠にしてください」と。ソロモン王が喜ぶと、シクラメンは顔を赤らめ、恥ずかしそうに下を向いてしまったということです。
シクラメンの花言葉は、この伝説にちなんで「遠慮」「気後れ」「内気」「はにかみ」です。
「豚の饅頭」「篝火花」という和名も
シクラメンの英語名は「sows bread」(豚のパン)といいます。ブタがシクラメンの塊茎を好んで食べることから、英国の植物学者が16世紀に名づけました。
日本にシクラメンが入ってきたのは明治時代の初め、最初の和名は何と、「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」。英語名を意訳して、まだパンですらなじみのない時代だったので、「パン」を「饅頭」に置き換えたものです。
これに「無粋な名」と不満を抱いたのが、日本の植物学の父と呼ばれた牧野富太郎。
牧野によると、新宿御苑の温室を見学に訪れた貴婦人の一人が、シクラメンを目にして「篝火(かがりび)によく似ている」とつぶやいたそうです。「これは好い見立てである」と喜んだ牧野は、さっそく「カガリビバナ(篝火花)」という優雅な新和名を提案します。
その婦人の名を牧野は記していませんが、「大正三美人」の一人と謳われた女流歌人・九条武子だったという説があります。武子は社会活動家としても知られ、関東大震災の復興事業に奔走したためか、42歳という若さで亡くなりました。
燃えつきし 焔の形 シクラメン
俳人の田川飛旅子(たがわ・ひりょし)の一句。美しい炎の形をしたシクラメンには、佳人薄命だった武子の面影が重なります。
現在、シクラメンは誰でも知っている花となり、どちらの和名も定着しませんでした。
シクラメンの名前が有名になったのは、1975年「シクラメンのかほり」(小椋佳・作詞作曲、布施明・歌)の大ヒットから。シクラメンには香りがないとよく言われますが、原種のキ(シ)クラメン・ペルシクムには、ほのかな甘い香りがあります。
シクラメン
学名 Cyclamen persicum
英語名 sows bread
サクラソウ科シクラメン属の多年草。原産地は地中海周辺の丘陵地帯で、花期は冬から春。秋咲きの品種もある。別名はブタノマンジュウ(豚の饅頭)、カガリビバナ(篝火花)。
七十二候のカレンダーをつくりました
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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