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栄螺さざえ

旬のもの 2026.05.25

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五月も末になると、海からの風がやわらかく湿り気を帯びてきます。海辺で初夏の風を吸い込めば、潮の香りとともに、栄螺(さざえ)の壺焼きの匂いが鼻をくすぐることでしょう。

青々とした海藻が揺れる岩場の荒波で育った栄螺は、こうして立派な角を発達させる。

初夏の風と、磯の香り

栄螺は一年を通して安定して水揚げされ、市場に並びますが、初夏から夏が産卵期にあたり、産卵前が最も栄養を蓄えていることから、一般的には春から初夏にかけてが最も身が充実しておいしい旬とされています。まさに今が、食べごろです。磯辺で獲れたての身を口に運べば、海のすべてが詰まっているかのような滋味が広がります。

威勢のよい声が聞こえてきそうな江戸・日本橋の魚市場。『日本橋魚市繁栄図』には、鯛や鮑とともに栄螺も描かれており、庶民の食卓に身近な存在だったことを物語っている。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

縄文の昔から、人の傍らに

栄螺と人との関わりは、はるか縄文の時代に遡ります。全国各地の貝塚からはさまざまな貝の殻が出土しますが、外洋の磯に接した遺跡では、栄螺の殻も多く見つかっています。貝塚とは、人々が食べたあとの貝殻や骨などを捨てていた場所。貝殻は土に還らないため地中に残り、当時の食生活を知る貴重な手がかりとなるのです。

殻ごと直火にかけると、磯の香りがふわりと立ち上る。江戸時代の街道でも、この煙が旅人を引き寄せていた。

江戸の街に広がった壺焼き文化

江戸時代には出版文化が隆盛を極め、一般市民でも楽しめる料理本が次々と登場し、食の文化が庶民の間にも急速に広がりました。栄螺もまた、この時代に大きく食文化を花開かせた食材のひとつです。

現在の形に似た栄螺の壺焼きは、江戸時代には登場しており、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』には、静岡県由比のあたりで「売るはさざえの壺焼きや」という言及があります。遅くとも江戸時代中期には「サザエの壺焼き」という名で売り出されていたことがわかります。

日本橋魚市場の賑わいを描いた絵にも、栄螺の姿があり、身分を問わず愛された庶民のごちそうだったのでしょう。明治時代には、銀座の縁日でも栄螺の壺焼きを商う屋台が描かれており、海辺の町から都市部へと、その食文化が広がっていった様子もうかがえます。

江戸時代の屋台で売られていたのは、磯の潮気をそのまま運んできたような、おおらかで素朴な焼き栄螺だったことでしょう。その煙と香りが人を引き寄せ、街の活気の一部となっていたのです。

三重県伊勢志摩の海女小屋では、素潜りで採ったばかりの栄螺をその場で焼いていただける。磯着姿の海女が炭火を囲む光景も、この地ならでは。

土地ごとに異なる、磯の恵みの味わい

栄螺の食文化は、産地によって豊かに異なります。

三重県の伊勢志摩・鳥羽地方では、栄螺は代表的な海の幸として知られ、壺焼きを提供する店が今も軒を連ねています。海女小屋では、海女が素潜りで丁寧に獲った栄螺を、獲れたてのままに焼いていただくことができ、その味は観光で訪れる人々の心にも深く刻まれます。

日本海の隠岐の島でも、栄螺は名産品として知られています。栄螺はお正月や祭りなど、人が多く集まる機会に「さざえ飯」の海苔巻きとして食べられてきました。さざえ飯は、栄螺の茹で汁を使って炊いた炊き込みご飯で、磯の風味がしみわたった味わいは格別です。かつては「御食国」として朝廷に海の幸を献上していたこの島で、栄螺は今も人々の暮らしの中で愛されています。

鼻をくすぐる壺焼きの香りも、炊き込みご飯に広がる磯の風味も、みな海からの贈りものです。無骨な貝殻のなかに、この国の海と人との縁が、静かに息づいています。

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清絢

食文化研究家
大阪府生まれ。新緑のまぶしい春から初夏、めったに降らない雪の日も好きです。季節が変わる匂いにワクワクします。著書は『日本を味わう366日の旬のもの図鑑』(淡交社)、『和食手帖』『ふるさとの食べもの』(ともに共著、思文閣出版)など。

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